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酸素の長いチューブ [療養]

何につけても工夫が大切。これは僕の信条になっている。酸素を使うには、酸素濃縮機からチューブを通して酸素を吸う。家の中ならどこへでもいけるように、このチューブは長いものになっている。家の中で移動すると、このチューブがあちこちに引っかかる。鎖に繋がれた犬のようなものである。

最悪なのは、息切れを避けて慎重に、階段を上ったところで、動けなくなることだ。一階のどこかでチューブが引っかかっている。掃除機だったり、携帯充電器のコンセントだったり、ともかく、また下に下りて階段を上がり直さなければならない。これでまた息切れする。

引っかからないようにするには、移動のときに、まず手元に手繰り寄せて、移動とともに徐々に延ばして行けばよい。これが、なかなか実行できない。移動は、もちろん必要があるからするのだが、その目的がまず頭に浮かぶから、チューブをたぐる事を忘れて動き出してしまう。

最近は、大分手馴れて、忘れずチューブを手繰るようにはなってきたのだが、チューブが捩れてしまうことが多くなった。酸素濃縮機の接続口は回転するようになっていて、捩れが取れる仕組みなのだが、そううまくは働かない。捻れるとチューブ自体が絡まってしまう。動き回れば、ねじれることもあるだろうとは思ったが、どうも動きの割りにねじれが多いような気がする。

なぜ、捩れるのだろうかと考えて見た。どうも、この手繰りが捩れの原因であることがわかった。普通、チューブを手元に手繰るとき、ぐるぐると、輪を作って束ねて行く。捻っているつもりは無いのだが、輪にするというのは、自然に捻っていることになる。テープをぐるぐる巻いて引っ張ってみれば、捻れていることがわかるだろう。

捻らずに束ねるには、輪を作らず、手のひらの上に往復させればよい。8の字で束ねて行くようなことになる。ためしに、これをやってみたら、見事に捩れは起こらなくなった。ちょっとの工夫でこんなにも違うのだ。

在宅酸素のほかの皆さんはチューブをどのように扱っておられるのだろうか。くだらないことではあるが、何でも工夫してみると解決策があるものだという信念をまた強めた。

父の白血病 [療養]

あちこち悪いところだらけの僕だが、主な疾患と言えば、間質性肺炎と白血病だ。間質性肺炎は酸素のお世話になる毎日だから意識せざるを得ない。白血病の方は、分子標的薬のおかげで、現在は寛解状態にあり、自覚症状は全く無い。しかし、僕の父親は白血病で亡くなったのである。二代続けて白血病というのも因果なものではある。

僕の場合は、慢性骨髄性白血病なのだが、父の場合は、急性リンパ性白血病だったから、発症から1年経たずに死亡することになった。抗がん剤で一度寛解したが、半年で再発した。再入院のため、タクシーに同乗して琵琶湖の湖畔を走った。春めいた景色を見ながら、互いに沈黙したことを覚えている。父は、自分自身が医者だったから、入院したあと、もう出てこられないことがわかっていただろう。

父は、少し変わった経歴の持ち主だ。田舎の百姓の家の7番目の子どもとして生まれ、小学校3年生のときに出家した。禅寺の小坊主になったのだ。多分、経済的に苦しい、家の事情があったのだろう。以来、お寺の和尚さんの元で育てられることになった。朝早くから清掃、読経、座禅といった修行の毎日だった。修行の合間に学校にも通う。

人間には特性というものがある。父は、まじめに経文を覚えはしたが、宗教家としての素質がなかったようだ。まったくと言って良いほど宗教心がなかった。家に仏壇や位牌はなかったし、僕も、墓参りに連れられて行ったことなど一度も無い。本当は、建築家になりたかったと言う事を聞いたことがある。

兄弟子たちに比べて、修行の成果も出なかったのだろう。和尚は、偉いもので、そんな父の特性を見抜いて、人を救う医者になるのなら、坊主にならなくても良いと言い渡した。京都の本山に修行に出され、そこから大学の医学部に通うことになった。僧籍は抜けなかったので、医者になってからも、身寄りがなく葬儀のできない患者さんのためにお経をあげるようなことをしていた。

白血病になった後も、淡々としていた。寛解期にも、普通に病院にでかけて診察をしていた。抗がん剤で毛が抜けて、坊主姿になっていたこともあり、悟りの印象を受けた。人は誰でも死ぬ。病気との付き合いは、死ぬところまで続くのだから、これをどう受け止めるかだけの問題だ。僕も、父の白血病にこれを学びたい。

酸素を抱えて温泉に入る [療養]

酸素を抱えているといろいろな制約がある。ゆっくりと温泉にでも浸かりたいとも思うのだがなかなか実現できていない人も多いのではないだろうか。僕は、1LPM程度の酸素だから、酸素がなくなるとたちまち苦しくなるというほどではない。だから、酸素をはずして温泉につかることもできる。それでも、脈拍が速くなったりで、落ち着かず、そそくさと出て行くことになる。

POCは電気機械だから湿気は禁物だし、酸素ボンベも、バルブや同調器があって、湿気には弱い。だから浴室への持込は躊躇される。部屋にある小さな浴槽では温泉の意味が無い。やはり大きな浴槽に浸かりたいのだ。長いチューブを大浴場に引っ張り込むのは、ドアがあるとチューブがつぶれてしまう。第一、公衆浴場に長いチューブを引っ張りまわすなどということは、気が引けてとても出来ない。

ニュージーランドのテカポ湖に行ったときに気がついたことは、野天風呂ならOKと言うことだ。野天風呂は湿気が充満するなどと言うことはない。だから岸辺にPOCを置いても問題はない。6mm位の少し細いシリコンゴムのチューブを手に入れておくと良い。カニューラを細いチューブで延長しても数メートルなら、同調器も十分に動作する。

テカポ湖の温泉は、少し温度が低い、遠くの山々の稜線を眺めながら、ゆったりと温泉につかる。十分に酸素を吸って気持ちよく過ごせた。酸素をはずして、脈拍を気にしながらの入浴とは随分と異なる。これからは、国内でも、直接にアクセスできる野天風呂のある温泉を選んで、酸素持込で楽しみたいと思っている。

診療たらい回し「めまい」 [療養]

最近、「めまい」の症状が出てきた。歩き出してしばらくすると、地面が揺れ、ついには回転も始まって歩けなくなる。立ち止まって待っているとだんだん静まるようなのだが、出歩くには決定的に不便だ。しかも、症状は日を追ってひどくなって来ている。

ネットで調べて見ると、メニエル氏病などの三半規管の障害よりも、脳への血流阻害が高年齢層には多いようだ。メニエル氏病などは、もっと若い頃から何らかの症状があるはずで、年を取ってから急に現れたりはしない。脳神経外科などを受診するために紹介状を書いて貰おうと思った。脳神経外科は、専門性の高い病院だから、素人が勝手に判断して行けるところではない。

ところが、これがなかなか難しいのだ。医者は患者の言うままに紹介状を書くのではない。自分の診断で目星をつけて、適切な紹介をしなくてはならない。紹介先に「何で俺のとこに送ってくるんだ。ボケ」と言われるのを極端に恐れる。患者よりも医者仲間の評価を気にする。

間質性肺炎でお世話になっている呼吸器内科では、「あなたは白血病で抗がん剤を飲んでいるのだから、その副作用とか、白血病から来る症状かもしれないので、血液内科と相談してください。」と言われた。脳神経外科への紹介状は、血液内科で書いて貰えということだ。

血液内科では、「白血病とは関係ないし、そんな副作用の症例もない。平衡感覚は耳鼻科の範疇で、あなたは、難聴で耳鼻科に行っているのでしょう。耳鼻科で見てもらってください。」といわれた。血液内科はかなり専門性が高く、他の病気に関心がないのだ。

耳鼻科に行くと、中耳炎はあるが、三半規管に及んでいない。あなたは硝子体が白濁して眼科に通っているんですね。目から来るかも知れないので眼科での相談をお勧めします。」と言われた。紹介状を書く気は全くなさそうだった。

眼科で言われた事は、「酸素不足で目が回ることもあるので、呼吸器内科で見てもらって、そこで紹介状を書いてもらうといいでしょう。」だった。振り出しに戻るだ。これでは、堂々巡りで、いつまで経っても脳神経外科にはたどりつかない。うーん、困った。

「目まい」が解決 [療養]

目まいがひどかったのだが、それだけでは済まなかった。目まいを防ぐための血行促進在を処方されたのだが効く様子がない。だんだんとひどくなり、何かにつかまらないと立ってもおれなくなる。立ち上がって歩きだすと2,3分後に症状が現れ5分くらい続く。その後も、なにかゆらゆらと揺れており、よろけながらあるくことになるからたまらない。それだけで済まなかったというのは、排尿困難が始まったからだ。トイレをしたいのだが出ないというのは苦痛だ。夜も寝られない。いよいよ僕の人生も終末期になったかと感じた。

なんとかしなくてはならない。なかなか脳神経外科への紹介状を書いてもらえず困ったことは前に書いた。結局、一計を案じ、呼吸器の先生に頭部MRI検査を頼むことにした。予想通り、専門外でも、これは自分の裁量の範囲だから、簡単に了承してもらえた。逆に専門外だから、結果の分析に僕がいろいろ口出ししても鷹揚に対応してもらえる。結論的には、特に異常は見えなかった。恐れていた脳神経関係の病気ではなかったようだ。

これで少し冷静に考えられるようになった。脳神経でないとすると、目まいの原因は一体なんだろう。排尿困難については、飲み始めてすぐに出た症状だから血行促進剤の副作用かもしれないと思えた。これから、思いついて、薬剤師さんに僕が飲んでいる10種類の薬の中で、目まいの副作用があるものがあるかどうかを調べてもらった。ヒットしたのは、血糖値を抑制するインシュリン分泌促進剤だ。そういえば、白血病の薬タシグナが血糖値を押し上げるということで、この薬を飲みだしてからしばらくして目まいを感じるようになった気がする。

調べて見ると必ずしも副作用というわけではなく、薬が効きすぎると低血糖になり、それで目まいが起こるというわけだ。即効性の薬だが、特に薬を飲んだあとで目まいがするというわけでもないので、関連があるかどうかわからないのだが、その場で先生に電話して、服薬を止めてみることにした。はたして、翌日から、目まいはすっかり治まってしまった。僕の場合、血糖値はそれほど高くなかったので、この薬は効き過ぎだったということだ。目まいがなくなれば、目まい止めの薬もいらない。止めたら排尿困難も消えてしまった。

この何週間か悩まされた「目まい」と排尿困難が急になくなると、気が抜けたようになる。歩くのが大変で、一歩一歩踏みしめるように歩いていた。それが、なんの気遣いもなく普通に歩けるのはウソのようだ。これで気がついたのだが、普通、僕らは歩くとき、足の動きなど気にせず、むしろ周りの情景にだけに注意をはらっている。歩くという行為をしながら、なんとなく過ごしている。

息苦しければ、呼吸を意識するが、普段は気にもしない。歯が痛ければ咀嚼を意識するが普段は気にもしない。人は、自分の幸せに気がつかないのだ。

なんとなく過ごせることが、人間にとっていかに幸せなのかがわかる。このブログのタイトルを「なんとなく過ごす日々」としたのは、別段深い考えがあってのことではないのだが、今考えると結構的を得たタイトルだった気がする。

*********追記**********
かなり軽くはなったのだが、完全に解決したわけではなかった。今も、時々めまいが起こるし、どうも平衡感覚がおかしい。つまづいて転ぶこともある。いつもではないし、長くは続かないので日常の問題はない。しかし、転んで大事にならないように用心はいる。体調にもよるようで、例えば風邪気味で熱が出たときなど必ずめまいが出てくるようになった。

入院しました 日本語入力が [療養]

旅行でPCを盗られ、病院でタブレット練習中ですが、なかなかです。

I am hospitalized now but not serious this time. It will be just for a week or so. I will have an eye surgery to remove cloudy vitreous body. The operation is all done using micro manipulator. What an advancement of medical technologies these days. The hospital is modernized with latest equipments.

The problem for me is the computer usage. Internet access is quite limited not to interfere with the medical equipments. Other than that, since I could not bring my PC, I have to use a tablet for computer work. Typing Japanese with funny cell phone like input system is time consuming experience and makes me irritated.
I know I have to get used to it. I will use this occasion for my tablet practice.

退院 硝子体手術 [療養]

退院しました。日本語環境も回復。

白内障の手術をして、感激的なほどよく見えるようになったのだが、それもつかの間で、見え方は次第に劣化しだした。これは特に驚かない。後発白内障というのは、多くの白内障手術に見られる「取り残しの増殖」であり、レーザーで取り除ける。そう理解していたのだが、右目の様子は、どうもちがう。昆布のような黒い影が現われ、何本もゆらゆらとゆれている。そのうち直るかと2ヶ月ほど待っていたら、昆布は細くなり、からまって、網目のようになってきた。当初は、網目の隙間から見ることが出来たのだが、そこがすりガラスのように曇ってきた。これでは、ぼんやりとしか見えないことになる。左目は普通に見えるから実生活には差し支えないようなものだが、実に鬱陶しい。

眼科の先生は、レンズの奥、網膜との間にある硝子体が濁っていると言う。濁りが不均質になって境界部分で屈折率が変わるのが、黒い影になるのだそうだ。硝子体を構成するゼリー状の物質は、循環して、絶えず入れ替わっているから、一時的な濁りなら、2、3ヶ月で自然になくなる。ところがこれが、半年たっても無くならない。絶えず濁りが注入されていることになる。硝子体を覆っているブドウ幕が炎症を起こしているとか、リンパ腫の影響だとかが考えられる。見た感じではどうも、そういったものとは少し違うような気がするということで、先生も頭をひねっていた。先輩先生に相談に行っても良くわからない。

ブドウ幕炎ならステロイド注射が効くので、やって見ようということになった。目玉への注射だから、結構恐怖感がある。意を決してやってもらったのだが、結果は何の効果もなかった。眼底に何かあるのかも知れないが、濁っていて見えない。そこで、ともかく硝子体を取り払って、眼底を良く見て見よう。取り出した硝子体を分析すれば濁りの正体がわかるかも知れないということになったのが、今回の硝子体手術だ。

硝子体手術は、割とよく行われているらしい。網膜はく離とか眼底出血の場合、硝子体を取り除いてレーザーなどで治療する。直径0.5mmのカッターを差込み硝子体を切って吸い出す。吸い出した後を水で埋めるための注入口と照明のために合計3本の針を刺すことになる。よくそんな細かな技が使えるものだと感心するが、これは全部ハイテク機材のなせる技である。眼科は、今やマイクロマニピュレータの世界になっている。

手術のために一週間の入院となった。何年か前の間質性肺炎の急性増悪に比べれば随分気楽なものだが、それでもやはり、入院は嫌なものだ。目の手術で一番の問題は「咳」である。目に針を突き刺した状態で咳き込めばどうなるか、考えただけでも恐ろしい。幸い最近は大きく咳き込むことはないが、それでも時々咳は出る。消毒とか麻酔とかあって、本当に咳をしてはいけないのは15分くらいだが、この間何とか咳払いをせずに我慢するのはなかなかつらかった。出そうな咳をぐっとこらえる。しばらくするとまた咳が出そうになる。これの繰り返しだ。

無事に手術を終えて退院となった。変な昆布や網目は消えて、すっきりとした視野にはなったのだが、結局、眼底には何の異常も見えなかった。濁りは、謎のままである。ということは、またあの昆布が、近々復活するという可能性が高い。気持ちは、釈然としないのだが、眼前の光景はうれしい。ともかく今はすっきりと見える。見えているうちに、どこか空気の澄んだ所に行って美しい星空を見てみたいと思っている。

多数服薬の悩み [療養]

間質性肺炎と白血病の2つを抱えていると、多数の薬剤に頼らざるを得ない。間質性肺炎にステロイドは欠かせないし、白血病にはロチニブが必須である。これで命を保っているのだから有り難い大事な薬だ。

しかし、こういった薬は副作用を伴う。ステロイドは、骨粗鬆症の原因になるから、ビスフォスフォネート剤が必要になる。前立腺の肥大も促進するからこの薬も飲まなくてはいけない。気管支を保護するためには、日常的にクラリロスマイシンを飲まねばならないし、これだけ薬が多くなると胃の粘膜を保護する薬も必要になる。

薬のための薬ということで、どんどん薬が増えていく。そのうちに、薬同士が副作用を共用することになる。どの薬も最終的には代謝されるので、肝臓と腎臓の負担にはなる。γGTPとクレアチニンは徐々に上がって行かざるを得ない。このあたりは、うまく付き合って、寿命が尽きるまで、決定的な障害の出現を引き伸ばすしかない。

僕の場合、差し当たっての問題は、血糖値のコントロールだ。スロイドとニロチニブが血糖値を押上げ、HbA1Cが7.4にまで上がって来ている。このまま放置すれば糖尿病で失明や透析に進むことになってしまう。血糖値のコントロールに理想的なものは運動であるが、酸素ボンベが必要な身では。さすがにこれは無理だ。このレベルでは食事に気をつけるくらいでは収まらない。

血糖値の薬には多かれ少なかれ、「めまい」の症状が出る。誰にでも出るわけではないのだが、僕の場合は、いくつか試してみたが、必ず出てくる。薬が効いて低血糖になれば、当然めまいが生じるのだけど、それだけではないらしい。DPP-4阻害薬が一番副作用が少ないのだが、それでも出てくる。もちろんグリニド系製剤よりは、はるかにめまいは少ない。少量で済むなら、DPP-4阻害薬でなんとかなりそうだ。

ここでもう一つの大きな問題が出てきた。足の筋肉の痛みだ。大腿筋、ふくらはぎの筋肉痛が3週間以上も続いた。じっと座っていても段々痛みが出てくるので、時々立ち上がらねばならない。立ち上がって歩き出そうとすると激痛が走る。筋痛症とめまいが重なると、ギクッと痛んだ拍子にバランスを崩して転倒することになる。あちこち傷ができてしまった。これだと、いつか頭を打って大変なことになりそうだ。寝ていてもじわりと痛いのだが寝ているしかない。

筋肉の痛みが続く病気というのはあまりない。僕の場合は「リウマチ性多発筋痛症」だろう。前にもこの症状が出たことがあって、悩んだ末に、ステロイドを増量したら、1週間で治った。今回は、それが長引いて、ステロイドの増量にもなかなか反応しない。ステロイドの増量は血糖値を上げる。血糖値をコントロールする薬が大なり小なり、めまいの症状をきたす。めまいの薬は前立腺を肥大させ排尿困難をきたす。まさに悪循環だ。

そんなわけで、八方塞がりの毎日が続いた。しかし、リウマチ症状には山谷がある。4週間目になって、痛みが和らぎ出した。結局、時間が解決してくれるのを待つのが一番だったということだ。しかし、もちろん再発が予想される。それも仕方がないだろう。多くの薬の副作用バランスの合間をかいくぐって生きて行くのが、僕だけでなく、多くの病気を抱えた人の生き延び方になっている。


「耳が聞こえにくい」という問題 [療養]

いろいろと悪いところがあるのだが、難聴もそのひとつだ。中耳炎がなかなか治らず、聴力が低下してしまった。加齢も重なっているだろう。コミュニケーションが取れずに困ることが多い。

難聴の最大の問題は誤解されることだ。普通の人には聞こえていないことが理解できない。「言ったのに無視された」「説明しても理解力がない」と思われることがむしろ普通だ。対人関係は確実に悪化する。聞こえないことをはっきり言えばいいのだが、何度も聞き返すのがいやで、つい生返事をしてしまう。「ボケ」と思われる。連れ合いだって「なんで一日中怒鳴り続けなくちゃいけないの」「補聴器をつけてよ」と不満を漏らす。

補聴器は眼鏡のように効果がはっきりしたものではない。確かに音は大きくなるのだが、明瞭度が悪くなる。音は聞こえても、何を言っているかの識別はかえって悪くなることもあるくらいだ。補聴器さえつければ聞こえると思うのは健常者の誤解でしかない。

難聴には、音を神経に伝える機構が劣化した伝音性難聴と、神経機構そのものが劣化した感音性難聴があるが、大抵両方が混合している。感音性難聴の場合は「聞き分け」が難しいのであり、これは音が小さいことだけが問題なのではない。もちろん、音が大きくなれば「聞き分け」にも役立ちはする。しかし、「聞き分け」は、機器の性能だけで決まらず、「慣れ」とか「訓練」も大いに効いてくる。これが、補聴器の選択を難しくしている。

最近の技術の進歩は目覚しく、補聴器の性能も格段の進歩を遂げている。その最大のものは、デジタル化である。難聴は、すべての音が同じように聞きにくくなっているのではなく、加齢では大抵高音が聞こえにくい。高音成分が聞きにくいと「はぎれ」が悪くなる。だから、高音領域を特に増幅してやるのが良い。アナログ回路でこういった処理は大変だったが、デジタル化してコンピュータ処理(DSP)をすることで、いろいろな音域ごとに増幅度を設定することが出来るようになった。音域をチャンネルに分けるのだが、チャンネル数が多くて細かく調整できるものが高級な補聴器と言うことになる。高いものは100万円もする。

問題は、このような細かな調整をどのようにするか、またどれだけ役に立つかだ。「補聴器は調整が大切です」「認定技能士が調整します」「機種よりも調整できる店で買うことが大切です」といった宣伝が多い。しかし、これは補聴器を売るためであり、「他社で買った補聴器を有料で調整して見違えるような性能にします」と言う店は一軒もない。

調整の中身は、チャンネル毎に利得を上げ下げするだけのことだ。オージオメータで色々な高さの音を聞かせて、それを補正する設定が基本で、あとはさじ加減ということになるが、それがどれだけの効果を持つかは疑問だ。杖の長さは調整する必要があるが、ミリ単位で調整することにどれだけ意味があるかというのと同じだ。技能士の教科書を見てみたが、なんの事もない調整とは関係のない医療の基礎知識が書いてあるだけだ。

一番安いデジタル補聴器は2万円くらいで手に入る。一般的な、高音を強める設定になっており、調整はできない。100万円のものは、これをさらに細かく個人差を入れて設定できるが、実のところ比較して見てもその効果は、はっきりしない。付け心地、リモコンなど便利な機能だけで88万円を払う気はしない。かといって聞こえの悪さを放置しておく訳にも行かないから困ってしまう。

役に立つのだろうか新しい補聴器 [療養]

難聴が進んでいる。会議の時の聞きづらさから、日常会話の不便につながり、中程度の難聴ということになった。補聴器で問題が解決すればいいのだがそうは行かない。

これまで使っていたのは、「デジミミ2」というもので、2万円くらいで手に入る。会議の時には、これで音を大きくすると、多少聞き取りが良くなった。耳の穴に強く押し込むもので、長時間使うと疲れる。押し込みが弱いと、ピーと発振してしまう。マイクとスピーカーの距離が1cmもないのだから、これは仕方がない。だんだん、ボリウムを上げるようになり、ハウリングで限界になってきてしまった。

そこで、本格的な補聴器を手にいれることにした。バーナフォンというスイスの会社が作っているもので、値段は一桁上がるが、コストコで買うとかなり安くなる。耳掛け式で、マイクとスピーカーが少し離れているから、発振はしにくい。雑音が非常に少なく、長時間使っても苦痛にならないのがいいところだ。高級な補聴器は、周波数毎に増幅度を設定できるので、各人の症状に合わせることが出来る。

そういったことから、調整が大切だということが盛んに強調され、「どの補聴器を買うかより、どこで買うかが大切」「良い技術者のいる店で買わなければ意味がない」といった宣伝が目立つ。これはまるで補聴器が万能であり、うまく働かないのはすべて買う店が悪かったからだという幻想を与えるものだ。しかし、補聴器は本質的に抜本的な症状改善ができるものではない。他の店で買った補聴器を持ち込んでください。見違えるような性能にする調整をします。などと言える店は一軒もない。すべて、売るための宣伝に過ぎない。

実際には、オーディオグラフで周波数毎の聴力測定をして、これに合わせて、コンピュータが指示するとおりに増幅度を設定すればほとんど調整は終わりだ。騒音が強すぎて苦痛だなどと言う場合には少し妥協して増幅度を下げて快適な音質には出来る。しかし、結局のところ周波数毎の増幅度しかいじるところはなく、高音を強調するとか低温を伸ばすなどということしか出来ない。言葉のフォルマントは、広く分布しているので、周波数で分離するわけには行かない。だから調整で「うー」と「ぬー」が聞き分けられるようになるなどということはあり得ないのだ。

眼鏡と補聴器は全く違う。眼鏡は目のレンズを補正するものだ。網膜にとってみれば、水晶体でも眼鏡でも同じようなもので、焦点さえ合えば健全な目と変わらない。しかし、網膜が劣化した場合、いくら眼鏡を掛けてもよく見えないだろう。難聴は、目で言えば網膜の劣化に相当する。鼓膜に音は届いているのだが、そこから脳に伝わらないのだ。

仕方がないから、音を大きくして鼓膜を大きく震わせる。自然の音とは別の音を聞いているのだから、同じように聞こえるはずがない。確かに補聴器をつけると、今まで聞こえなかった小さな音が聞こえるようになる。しかし、何を言っているのか良くわからなかったものが、良く聞き分けられるようには、なかなかならない。音は大きくなっても「うー」と「ぬー」の区別とかは、難しいままだ。補聴器の使用は眼で言えば、照明を明るくすることに相当するだろう。

とはいうものの、他に手立てがないから、補聴器を使って行くしかない。やっかいなことだ。

なぜ日本でPOC(携帯用酸素濃縮機)が普及しないのか [療養]

日本では多くの在宅酸素患者が家に酸素濃縮機を設置して、外出の時には酸素ボンベを使っている。酸素ボンベは使えば減って行くのでいつも気にしなければならない。携帯用酸素濃縮機(POC)があれば、いつでもどこでも、電源さえあれば酸素を使うことができる。欧米ではPOCがかなり普及して、いくつもの会社が使いよいPOCを作って競争している。アメリカの航空会社はついに、酸素ボンベの持込を禁止して、搭乗中の酸素は、POCに限ることにしたくらいだ。

POCは近年発展した医療機器で、日本が得意な機械・電子技術を使ったものである。世界のPOCマーケットはかなり大きいのだから日本企業の参入があってしかるべきものだ。ところが世界の数十社がひしめく中で、日本のシェアは、ゼロというのだから驚く。日本にはPOC産業がないのだ。

なぜ日本にPOCが無いのか?それは、保険制度の構造によるところが大きい。日本では、在宅酸素療法ということで、医療費として、酸素が供給されている。酸素の代金は病院に払い、決して酸素会社に払ったりしない。医療機器はまず、保険の枠組みに入ることが必須なのだ。毎月の費用は

指導管理料    2,500点
酸素濃縮装置  4,000点
酸素ボンベ     880点
同調器       300点

で合計76800円となり、この3割23400円を患者が負担することで「治療」をうける。液体酸素を用いる場合は親機が4000点、子機が880点になる。費用は「治療」に対して支払うのだから、何本ボンベを使おうが、旅行先にボンベを届けてもらおうが、機械のメンテナンスをやろうが、関係なく、同じ「治療」だから全て一律だ。POCの値段が大体25万円くらいであることを考えると月76800円というのは、法外に高いから、会社の利益は大きい。しかし、メンテナンスや非常用のボンベなどを含めると、患者が払う23400円は、保険適用外になっている諸外国に比べて高いものではない。病院は治療費に加えて25000円の収入になるから潤う。酸素会社、病院、患者ともにうまく納まっているので、制度は固定化されてきた。

すでに出来上がっているこの医療点数の枠組みに、POCを付け加えることは難しい。濃縮機とボンベの機能を兼ね備えるPOCを導入すれば合計の点数はむしろ減るだけだ。酸素会社にとってPOCの導入は営業上意味がない。ましてや、実質上在宅酸素を請け負っている会社は、ボンベへの充填設備を主体とする酸素会社なのだ。POC導入で酸素ボンベがいらなくなったのでは困ってしまう。

多くの国では眼鏡などと同じく医療費外の機材となっているから、安さ、便利さの競争になり、結果的にPOCへのシフトが起こった。日本では、患者が選ぶのではなく、医療機関が選ぶのだから、当然、便利さよりも信頼性が重視される。こういうことで長らくPOCの開発には、医療機関も、酸素会社も積極的ではなかった。医療機器として認可もされなかったから、禁止と同じことだ。もちろん保険適用がないのでは、機材メーカーも開発のしようがない。

保険適用することで、どのような人にも在宅酸素を保障する現在の制度は、悪いものではないのだが、硬直した医療点数構造がPOCの普及を阻んで来た。しかし、諸外国の趨勢はあきらかにPOCに向かっている。外交圧力に屈して、厚労省もついに今年から外国製のPOCに保険適用を認めた。原理的には設置型の濃縮機を携帯用濃縮機に置き換えることが可能だ。患者側からの要求が強くなれば、酸素会社もPOCを導入せざるを得なくなる。これを機会に国内メーカーのPOC開発を期待したい。

POC開発の現状はと言えば、テイジンとフクダ、コイケが手がけているようだが、いずれも酸素ボンベに置き換わる小さなもので、ボンベをもっと軽くすることに重点がおかれている。液体酸素への対抗策らしい。長時間使ったり、就寝時に連続使用したりは想定されていないものだ。望まれるのは、設置型の濃縮機を携帯用にする開発なのだが、これにはまだ手もついていないらしい。

問題は、患者側にもある。日本では、酸素を持って外出する人が非常に少ない。病院では見かけるが、買い物や旅行で、酸素を持った人に出会ったことはほとんどない。カニューラをつけていると奇異な目で見られることも多い。酸素会社の人の話では、在宅酸素の人の多くは、引きこもってしまったり、寝たきりに近いのだそうだ。元気なHOT仲間が、もっと町にでなければいけない。POCの需要があることを示して行かなければならない。

関連記事: 携帯用酸素濃縮機(POC)を使う
関連ブログ: ブログ村間質性肺炎

白血病の薬を止める-----断薬治験 [療養]

間質性肺炎のほかにある僕のもう一つの病気、白血病は長らく絶望的な病気の代表とされて来た。「愛と死を見つめて」なんていう小説がベストセラーになったこともあるし、映画でも病気の悲劇はかならず白血病だった。主人公は妙齢の美しい女性に限られていたのだが、実際には、僕のようなオジサンもかかる病気だ。血液がんだから、最初から全身に転移してしまっていて手術のしようがないというのが絶望的なことの理由だ。

そう思われて来たのだが、白血病の中でもCML(慢性骨髄性白血病)については、特効薬とも言うべき薬剤が開発され、もはや致命的な病気ではなくなった。

がん発生のメカニズムが一番よく解明されているのが白血病である。白血球細胞の22番染色体と9番染色体が一部交差してBCR-ABL遺伝子が生まれ、これががん細胞の元になる。がん化した白血球が無限に増殖していくのが病理なのだが、この細胞分裂の引き金になっているのが、チロシンキナーゼ(TK)という酵素分子であることがわかった。だから、チロシンキナーゼに結びついて活性を阻害する薬剤を投入すれば、がん白血球は増殖しなくなる。今までの抗がん剤のよううに、がん細胞自体を攻撃したりしない。チロシンキナーゼという分子を標的にした薬だ。

チロシンキナーゼ阻害剤(TKI)は、分子標的という新しい手法で開発された薬剤の一番の成功例だ。イマチニブ(商品名グリペック)が開発されて、奏効率90%以上の驚くような効果を示したのだから、CMLの治療は一変した。初めてがん細胞の増殖が完全に止められる薬が生まれたのだ。増殖が止まると、現存するがん白血球は寿命が尽きて死滅していく。僕の場合も、グリペックを飲み出して半年後には、検査してもがん遺伝子は全く見えなくなってしまった。グリペックの適応範囲をさらに広げた第二世代のTKIとしてタシグナやスプリセルが使われるようになった。

しかし、これで白血病が完治したわけではない。検査で見えなくなっても、実際はまだ残っている。白血球の数は10億もあるから、例え100万分の一になっても、まだ1000個あることになる。一個でもがん細胞があれば、白血病は復活するし、幹細胞と言われる親細胞は、骨髄の奥深く冬眠しており、手が届かない。だからCML患者は一生TKIを飲み続けなければならないのだ。

これが大きな問題で、TKIの値段は極めて高い。製造原価は一錠25セントなのだが、開発費がかかっているので、タシグナの場合一錠4738円で一日4錠が基本だから月額57万円、3割負担でも月額17万円になる。これが死ぬまで続くのではたまったものではない。日本には高額医療費制度があり、これで助けられている。安倍内閣が高額医療費制度の見直しなどと言い出しているのは本当に背筋が凍りつく思いだ。高額医療費が適用されるので、3ヶ月まとめて処方してもらえば、限度額X4回以外は返ってくる。それでも、一旦は薬局のレジで毎回50万円を支払うという凄いことになる。

保険が十分に機能していない、あるいは十分に「改革」されてしまっている国では、さらに深刻で、当然薬を飲み続けられない人が出てくる。副作用が強くて続けられない人もいる。その中で、大きな発見があった。原理的には、薬を止めれば、またがん細胞の増殖が始まるはずなのだが、中には白血球が増えない人がいたのだ。ある程度増殖はするのだが、増殖が止まってしまう人がいることもわかった。

そこで大規模な治験、stop gleevec projectが行われた。その結果、がん細胞が見えなくなって3年くらい経った患者のうち1/3`くらいは、TKIの投与を止めても白血病が再発しないことがわかった。なぜ、がん細胞が増えないのか?なぜ1/3くらいだけなのか? 謎は依然として解明されていない。それでも、高額な薬代がいらなくなる可能性があることは大きな希望だ。3年経ったら試みたいと考える人は多い。

僕は、グリペックの効きが良く、半年くらいでがん遺伝子が全く見えなくなったし、この状態で4年も薬を飲み続けたから、かなりがん細胞も減っていると思われた。そこで先生と相談の上で断薬を試みることにした。確率1/3に入れるかどうか、期待はしたのだが、結果的には外れた。一ヶ月あまりで、検査結果はあきらかながん遺伝子の増殖を見せるようになってしまった。これを期にグリペックからタシグナに切り替えて服薬を再開し、現在に至っている。タシグナを飲んでいる限り、がん細胞は検出限界以下を保てる。

再発する人としない人の違いは、どれだけがん細胞が減っているかより、NK細胞の活性が関係しているとか、いろいろ言われているが、まだ実際のところはわかっていない。

関連記事: 慢性骨髄性白血病(CML)の発症経過
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インフルエンザの予防 [療養]

インフルエンザがかなり流行ってきた。間質性肺炎患者にとっては大きな脅威だ。出かけるときにマスクは必須になるし、熱のある人には近づけない。うがいも欠かさないが、特に大切なのは手洗いだと言うことは覚えておこう。感染経路としては、飛沫感染よりもドアノブや器具などに付着したウイルスを手につけて、それで物を食べたり、目をこすったりすることが多いそうだ。

インフルエンザと言えば、予防接種が一番重要だと思っている人もいるが、予防接種に頼るのは間違いである。予防接種が効くならば、免疫ができてしまい、毎年インフルエンザが流行るなどと言うことはないはずだ。だから効く効かないの論争は古くからあった。

有名なのは前橋市の医師会が行った疫学調査である。1984年頃のまだ学校で子ども達に一斉接種をしていた時のことだが、桐生、高崎、安中などの前橋近郊の町は、副作用問題で、児童に接種する地区としない地区に分かれた。その結果、大規模な疫学調査ができてしまい、効く効かないの論争に決着がついた。接種の有無による罹患率の違いが認められないことが明らかになったのだ。それ以来、厚労省も学校での一律接種を取りやめることになった。もっとも、国にとっては経費節約のほうが主だったかもしれない。

抗原抗体の原理から言えばなぜ効かないかというのも不思議なのだが、データをつぶさに見ると、有意の差があり、やはり予防接種の効果があったことは認められる。この疫学データで全く効かないというのも間違いだろう。ただ、効果があるとしても、わずかであり、予防接種をしておけば罹らないというものでないことは確かだ。数値的には、予防接種をした子供の47%がインフルエンザになり、しなかった子の55%がインフルエンザになったといった程度のものだ。最近では「効く」と言わず「重症化を防ぐ」という表現が使われるようになってきている。

予防接種は体内にインフルエンザウイルスに対する抗体の雛形を作る。この雛形を使って、実際にウイルスが入ってきたときに抗体を増殖させて対抗する。インフルエンザの場合、潜伏期間が短く、抗体が増殖する前に発症してしまうから、発症を防ぐことにはあまり有効ではない。しかし、インフルエンザが長引いて重症化するのを防ぐのには十分間に合うのだ。最近では、タミフルのような抗インフルエンザ薬も普及してきたので、手当てを受ければ重症化することもないので、一般的には予防接種は不要とも言える。

間質性肺炎を持っていたりすると、インフルエンザが急性増悪の引き金になったりするから、少しでも役に立つならやっておこうということになる。ところが、ステロイドを使っている人は、免疫力が低下しているから、インフルエンザの予防接種をしてはいけないなどと言う話もある。これは間違いだろう。生ワクチンは、ウイルスを弱めて接種するから、抵抗力の無い人に摂取するとウイルスを繁殖させてしまう。BCG、麻疹・風疹混合[MR]、みずぼうそう、おたふくかぜワクチンなどがそれだ。しかし、インフルエンザワクチンは不活化ワクチンつまり、ウイルスそのものではなく、ウイルスが作る毒性物質を中和して接種するのだから抵抗力がなくとも発症したりしない。10mg/dayのステロイドを処方されている僕も、お医者さんにも同意してもらって、予防接種をした。

だからといって少しも安心はできないのは前述の通りだ。予防接種は効かないと考えておいたほうが良い。

「がん」食事療法への疑問 [療養]

「がん」については、まだわかっていないことが多い。だからこそ日本人の死因第一位でありながら、確実な治療の道が開けていない。手術、抗がん剤で救われないから、民間療法に頼りたくなる。なかでも食事療法は科学的とも言える根拠が示され、多くの人が多少なりとも実践することになる。本人や周りの人間にとって、出来ることはこれくらいしかないという思いが根底にある。

「がんは食事療法で治る」「免疫力でがんを治す」といった本がいくつも出版され、かなり読まれているようだ。一般的には適正な食事は健康の元であるから、間違ったことが書いてあるわけではないと思っていたのだが、読んで見て逆に疑問を感じるようになった。リウマチ、間質性肺炎で免疫抑制剤を飲んでいる身としては、様々な免疫作用を「免疫力」などというわけのわからない概念でひとくくりにしてしまうことにも抵抗がある。「女子力」などと同じで、中身は千差万別のはずなのだ。

日本のがん死亡率は年々増えているが、ヨーロッパ、アメリカなどでは逆に減っている。これはアメリカなどの先進医療は必ず食事療法を取り入れているからだと、食事療法の重要性を冒頭で強調する。食事療法に頼るのが先進的なのだという主張だ。僕は、まずここで引っかかってしまった。

アメリカ人が健全な食生活をしているなどということはあり得ない。ジャンクフードと不摂生による肥満が極度に蔓延して、心臓麻痺で死ぬ人が増えて、がんになる前に死んでいるのが現実だ。医療制度が不備で、富裕層には手厚くとも貧困層は十分な医療を受けられず、がん年齢まで生き延びられない。日本にがんが増えているのは、老齢人口が増えていることが第一の要因なのだ。日本は長寿国として知られている。

他の見方もあるだろう。がん死亡率の要因を絞り込むことは難しいが、圧倒的に不健全な食生活をしているアメリカ人より、むしろ日本人のがん死亡率が高いことは、食事はあまりがんと関係がないということではないだろうか。不健全な食事のほうががんにならないとまでは言わない。

「健康に良い」と「がんが治る」の間には大きな隔たりがある。これらの本は、この二つをごっちゃにした議論に陥っている。栄養バランスの取れた食事が健康に良いことはわかっているが、だからといって「がんが治る」わけではない。「健康に良い」を「がんが治る」にすりかえてしまうところがこれらの本の大きな問題だ。

あれが良い、これが悪いと細々した注意が述べられているが、がんと関係することは2つしかない。それは、喫煙と肺がんの関係、塩分過多と胃がんの関係である。これ以外は、単に「一般的に健康に良い」だけである。

栄養学的には玄米のほうが白米よりも優れている。胚芽にはビタミンBが含まれ、これが不足すれば確実に不調をきたし、脚気になる。現在では他の副食物からビタミンBが摂取できるから、あまり強調されないが、かつては7分つきなどを食べるのが普通だった。しかし、玄米を食べればがんが治るわけではない。どう統計を取っても、玄米食のほうが「がんが治る」という結果は明確に出てこない。

食事療法でがんが治ったという事例がいくつも紹介されているが、実は食事によらず直った実例も同じくらいある。理屈の上でも健康食のほうが治りやすいとは考えられるが、その差は確認されていない。抗がん剤の種類とかストレスとか他の要素の影響があって、明確な比較が難しいからだという。逆に言うと、食事療法の効果はこういったもろもろの効果の陰に隠れるほど小さいものであることが実証されていると言うことだ。

がん患者であれ健康人であれ、健全な食事をすることは良いことだ。しかし、「がんが治る」というすり替えを行うと半ば宗教的に、健全な食事の内容がゆがめられてしまうことがある。「チキンは良いが牛肉は絶対食べてならない」「イワシはよいが、マグロはいけない」「洋食はダメで和食でないといけない」などと言うレベルになると、もう、がんとの関係ではなんの根拠もない。もちろん、チキン主体で牛肉は控えめにするくらいなら、否定することもないことだ。多分そのほうが健康に良いだろう。

「洋食はダメで和食でないといけない」になると、むしろ害になる。それでは冒頭のアメリカの方ががん死亡率が低いということが説明できない。塩気とマッチするのが米の特性であり、米を主体とした和食はどうしても塩分が多くなる。化学調味料やダシにはナトリウムイオンが多く含まれ、結果的には塩分と同じだから、毎日味噌汁を飲めば、それだけで必要塩分量を越えてしまう。しょうゆ味、ミソ味、これらは全て塩分を基本としたものだ。

動物性たんぱく質の取りすぎなどといわれるが、必要量の5倍も10倍もとるわけではない。しかし、日本人は必要塩分量の10倍も取っている。動物性たんぱく質とがんの関係は立証されていない。塩分は発ガンが立証されているのだから訳がちがう。農薬とか保存料などで発がん性のものもあるが、これらは法律で量が規制されている。塩分は唯一規制されていない発ガン物質なのである。

野菜中心の食事も問題がある。野菜には、一見味がない(本当は味があるというのが正しい)から、いきおい味付けをしてしまう。野菜の煮物には塩味が欠かせない。大量の生野菜は大量のドレッシングになる。無理に味付けを控えた結果、おかずに飽きたらず、漬物やタラコなどに依拠して米を食べるのでは意味がないことは明白だろう。ステーキは胡椒を振っただけで塩分なしでも十分美味しいという違いは大きい。タレをつけるなどというのは焼肉の発想であり、ステーキではない。

食事の基本はおいしく食べることだ。食事療法を「お百度まいり」や「水ごり」のように、自分の体をいじめることが、病気回復につながるといった迷信にしてしまってはいけない。とりわけ、子どもがいる家庭では、家族揃って楽しい食事の範囲内で、健康に気をつける食事をすべきだろう。食事療法が家庭のストレスになっても強行するほど確実なものではないことは明らかだ。

もうひとつ、なぜかこれらの本には全く書いてない事実を挙げておこう。それは日本でも、30代、40代については、がん死亡率そのものが年々低下しているということだ。がん治療に対して、早期発見で見かけの5年生存率を上げただけだという批判があるが、これは当たらない。まだまだ不十分だが、医療は少しずつ進歩しているのだ。がんが治せないのは医療の限界を示すものだなどと言う悲観的結論は早とちりである。

入院しました----老人病院体験 [療養]

ステロイドが20mgになっているので用心はしていたのだが、風邪をひいてしまった。39度5分の高熱がでたのでは病院に行かざるを得ない。かかり付けの主治医のいる病院は遠いので手近な病院に行くことにした。我が家の近くには、大学病院をはじめ、総合病院が6つもあり、いずれも10分以内の距離にある。個人医院も沢山ある。

この病院はいわゆる老人病院で、「入ったらでられない」とか「老人を飼い殺しにする病院」などと言われ評判が悪い。好き好んでこんな病院を選ぶ人もないらしく、外来は何時行ってもがら空きだ。高熱でヘロヘロになっている時に待ち時間がないというのは実にありがたい。風邪薬をもらおうと思って行ったのだが、風邪が拗れて肺炎を起こしているから入院治療が必要だと言われてしまい、そのまま入院した。

この病院に入院して、こういった病院には、それなりの良さがあるということを改めて認識するようになった。老人病院では医療以前のケアがいるのだ。オムツの交換、スプーンで口に運ぶ食事の世話、寝巻きの着せ替え、入浴の世話。むしろ医療行為は付けたりになる。投薬も口に入れるところまで確認しなくてはならない。大学病院ではここまで面倒はみてくれない。医療に必要なのは高度な知識だけではなく面倒見の良さなのだ。老人病院は確かに面倒見が良い。入浴も、大学病院ではシャワーだけなのだが、頼めば湯船に浸からせてもらえる。

僕も、食事の度に、カニューラと酸素マスクの切り替えが必要だったし、寝る前には呼吸器の設定をしてもらったし、朝は停止にまた手を借りた。家に電話を掛けることも頼んだ。便が出る度に便器を持ってきてもらったし、歯を磨くからといっては水を持ってきてもらった。一度は不注意で寝巻きをからげるのに失敗して、便だらけに汚してしまったのだが、快く対応してもらえた。他の患者はもっと手がかかる。一日中ナースコールを押し続けるひと、わけのわからない大声を出し続ける人、家に帰ると立ち上がってよろける人、食事を食べないとダダをこねる人、こんなのが一杯いる。

こういった難題に対応するスタッフとしては、「ヘルパーさん」と呼ばれる補助職員が多い。医療行為でない部分は看護士でなくても良いからだ。看護士は何をするかといえば一切の医療行為だ。注射、点滴、薬剤管理、検査から、聴診もやる。薬の増減なども看護士が決めて医者にハンコをついてもらっているような気がする。医者は、ちょっと来て挨拶するだけみたいなものだ、病棟は看護師が主体で動いている。長期に入院している人が多く、病状の変化も少ないし、悪化すれば急性期医療の病院へ移してしまうから、医者の役割は少ない。専任の医者は、どこかの病院をリタイアしたような人ばかりだ。しかし、多くの医者は、大学からの派遣だったりするから、医療水準が低いわけでもない。

看護士はお母さん世代のしっかりしたベテランが多い。医療現場の主体だからだ。こういった看護士を確保するために、病院には保育所、学童保育所が併設されており、夜間勤務にも備えているという。ヘルパーさんに、屈強な若者がかなりいる。この病院には野球部があり、社会人野球の強豪だ。高校を野球一筋ですごし、さりとて、プロ野球や大学野球には手の届かなかった子の就職先になっている。午後に野球の練習をする時間が与えられており、夜は準看護学校に行って将来は看護士を目指すらしい。

病院の経営は幾つもの介護施設を運営している法人だ。普通の病院は外来からはじまるのだが、こういった病院では施設から体調不良で送り込まれる患者が多いから、外来患者がいなくとも十分経営が成り立っているのだろう。外来が空いているのも不思議ではない。ヘルパーさんや、看護士の人材確保を含めてなかなかの経営手腕だと思う。医師から見て魅力がないのは仕方がないところだ。

開業医のところで待たされるくらいならこういった老人病院のほうがいい。一応、検査機材も揃っているから対応も早い。重篤な病気でなければ老人病院も悪くないのだ。僕の肺炎も、一週間で大体回復して、明日には退院となる予定だ。


肺がん宣告、余命2年かあ (1) [療養]

無事急性肺炎での入院は終わり退院した。この入院については、さらりと、ひとごとのように書いたが、それは、もっとはるかに大きな問題を抱えていたからだ。3月にも風邪を引いて熱を出した。インフルエンザだったのだが、そのとき撮ったレントゲンで右肺にポツンとした白い陰が見えたのだ。

間質性肺炎と肺がんの相関は高い。僕もいつかは肺がんを発症するのかなと、漠然とした思いはあった。主治医の所にレントゲンCDを持って行くと、さっそくCTスキャンということになった。間質性肺炎がおとなしくなり、KL-6も下がっていたので、ここ一年ほどレントゲンはやっていなかった。

右肺の中ほどから少し上、ソラマメのような形で3センチくらいの大きさの塊がある。「うーん、やはりガンだなあ」「しかし、ちょっと顔つきが優しすぎるようにも思う」ということだった。ガンにも顔つきがあって、普通はもっと、とげとげしいのだそうだが、僕のはきれいなソラマメ型だ。

腫瘍マーカーを検査することになり、採血をして、診断は2週間後に持ち越された。主治医とは長年の付き合いで、教授に応募するときにも、論文リストの書き方でアドバイスを求められたり、ある程度舞台裏も知っている間柄だ。もし、ガンだとしたら、どれくらい生きられるのか忌憚のないところを聞いてみた。

ガンの大きさとしては、まだ小さく、手術可能な大きさなのだが、間質性肺炎ですでに肺機能が低下しているのでこれ以上肺を切り取ってしまうことは難しい。そもそも間質性肺炎+白血病の患者に全身麻酔をかけての手術はリスクが相当高い。だから、手術は選択肢にならない。

ガンの中でも肺ガンは予後が良くない。抗がん剤もいろいろ開発されて来てはいるが、まだ延命効果のレベルでしかない。耐性が出来てしまうから、奇跡の生還ということもあるが、結局、せいぜい2年の延命効果でしかないということだった。余命2年を宣告されたことになる。

二週間後、腫瘍マーカーの結果が出た。SCCが6.5で基準値の4倍を超えているから、はっきりした結果が示されたと言える。他のマーカーは陰性だからまちがいなく扁平上皮がんだ。扁平上皮ガンは気管支に近いところに発生することが多く、僕のように末梢部の場合、腺がんであることが多いのだから、ちょっと意外だ。喫煙との相関も高いのだが僕はタバコを吸ったことがない。ともかくも、検査結果というのは冷徹なものだ。またCTも撮ったのだが、2週間では、何も変わりがなかった。

さてどうするか。覚悟は出来ていてうろたえることはなかった。重篤な病気をかかえており、年齢のこともあるからどっちみちあと10年は厳しい。それが2年になっても単に数字が変わっただけだ。人生は長さではない。この2年をいかにまっとうするかが僕の課題なのだ。

実のところ、これでいよいよ僕の命運もつきるのかといった実感はなかった。「不幸中の幸いばかりー-僕の病歴」で書いたように、僕は何度も死に掛かって、その度に危うく切り抜けてきた。悪運の強さには自信がある。今度も、なんとか切り抜けるのではないかという根拠のない確信みたいなものが消えないのだ。

思いついたのは粒子線治療ということだ。実は、僕の専門分野は粒子加速器で、最近は陽子線治療用の加速器にも関与している。手術はできなくとも、粒子線で腫瘍を叩くことはできる。切開の必要がないから、体への負担が少ない。入院の必要すらなく通院でやることができる。

ただ、問題はあって、適用条件が厳しい。大きなガンはだめで早期発見でなくてはならない。これは、なんとか大丈夫だろう。ガンは一箇所に集中した局所ガンでなくてはならない。二箇所以上だと放射線の被爆限界を超えてしまうからだ。小胞細胞ガンのように分散されているとまずいのだが、これも扁平上皮ガンの場合は大丈夫だが、一個であることを確認する必要がある。最後に保険が利かず自己負担となるから、300万円あまりの金がかかる。これはもう何とか捻出するしかない。

外科手術と違って、粒子線照射ではがん細胞を完全に取り除くことは出来ず、かならず取りこぼしが出る。だから医者から見れば、手術に替わるものではなく、抗がん剤の一種といった扱いになってしまう。いわゆる先端医療であるから主治医も、経験したことがなく、適用に消極的だ。早い時期に適切な抗がん剤を選ぶほうが効果的であるという考えらしく、放射線治療施設への紹介状は、書き渋る様子が見える。

まずは大学病院に送って、いろんな角度からの検査をしてからということだが、肺生検などは、それ自体がリスクとなるから、おいそれとは出来ない。いろいろ議論はしたのだが、もう少しここでできる範囲の検査をしてから結論を出すということになった。とりあえずは、この右肺の腫瘍がどの程度大きくなるのか、一ヵ月の経過観察をする。一ヵ月後のCTと比較するのだ。

肺がん宣告、余命2年かあ (2)に続く)

肺がん宣告、余命2年かあ (2) [療養]

肺がんが見つかり、CTと腫瘍マーカーで確認されたことを書いた。どのような治療方針にするかで、一ヶ月の経過観察となったのだが、一ヵ月後のCTには、大きな変化が起こっていた。右胸だけでなく、左胸にも白い塊が現れた。2箇所に広がったガンとなると、粒子線治療も出来ない。万事休すである。いよいよ「余命2年」が重くのしかかってくる。

左胸に現れた影は、ソラマメではなく、淡路島のような変な形だ。大きさは、むしろソラマメ君よりも大きい。ソラマメ君は、しっかりと右胸に健在なのだが、あまり大きさも変わっていない。左胸に一ヶ月で急に大きな塊ができるというのは、ガンとしてもおかしい。前の画像と比べてみると、前にもうっすらと同じ形が見えている。主治医もこの新い腫瘍がガンであるということには、否定的だ。しかし、ガンではないと言う確証はないということだ。

一箇所の局所ガンということで粒子線治療に持ち込みたいと思っている僕としては、左に出来たものがガンでないという確証が欲しい。主治医も治療方針を決める上で、左に出来た腫瘍状のものの正体を見極めておかなくてはならないと言う考えだ。

間質性肺炎の病巣が固まったとも考えられるし、アスペルギルスやレジオネラ菌が病巣を作ったのかもしれない。もちろんガンということも否定できない。肺生検のリスクが高いので、この判別はなかなか難しい。僕の場合、侵襲性のある検査は、予備的な検査をして、手順を踏んで慎重にやる必要がある。抜歯など歯科治療も出来ない状態だからだ。 主治医の提案は、ステロイドを倍に増やして、もう一ヵ月経過観察をすることだった。間質性肺炎由来のものだったら、ステロイドで反応するはずだ。

「もし、アスペルギルスだったりしたら、免疫抑制で悪化するんじゃないですか?」と聞いてみたら、「いいじゃないか、そんなことを言ってる場合か」と言われてしまった。確かにそのとおりだ。しかし、20mgのステロイドはきつい。筋力がさらに衰えて体はふらつくし、当然、風邪などに弱くなる。

そんなことで、ステロイドを増やして、さらに一ヵ月の経過観察になった。マスクやうがい手洗いなど外出には気を使ったのだが、体調は悪くなかったから、旅行にも出かけた。時間が限られるとなると機会を逃すわけにはいかない。車での旅行で感染症リスクが増えるわけではないという理屈だ。

旅行からも元気に帰ってきたのだが、まずいことに配偶者が風邪を引いた。やばいかな、と思っていたら案の定うつされてしまい、挙句、老人病院に入院することになったのだ。この入院は、いわば予期されたことだったのである。ブログにもサラリと書いただけなのはそのためだ。

なんとか退院できたのが一ヵ月経ったころだ。急性肺炎の影響で、経過観察のねらいに支障ができてしまっているのではないかと恐れながら主治医の所に行き、CTを撮った。白い陰が現れてからCTも4回目になる。これで経過観察も最後になって欲しい。

左胸の淡路島は消えてしまっていた。やはり、間質性肺炎由来の一過性のものだったのだ。右胸のソラマメ君は、大きくはなっていないようだが、相変わらず健在である。

ともかくも、一箇所の小さな局所ガンなら、粒子線治療に持ち込める。肺がんの場合、転移が早いからまだ一箇所とは言えない。少なくともガンマシンチグラフィーなどで転移を確認しなければならないが、それは大学病院に行ってからだろう。このところずっとγGTPが高い値を示しているので腹部エコーをやってもらったが、肝臓への転移は大丈夫そうだ。

粒子線治療をやったとしてもそれで完治するわけではない。病巣を小さくするという意味では延命処置でしかない。抗がん剤も同じことだ。しかし、もし粒子線治療で2年延命できれば、抗がん剤治療とあわせて4年になる。まだガンが小さいことを入れれば5年は持つかもしれない。

よくガン治療は5年生存率を伸ばしただけで、死亡率は少しも下がっていないなどと現代医学への批判が聞かれるが、現実に直面してみると「延命処置」と「完治」の区別がなくなってくるのがわかる。年齢や、健康状態から言って僕があと10年も生きられる確率は高くない。5年後に生きているかといわれても、とても確約できない。だから、余命が5年となれば、「完治」と大差ないのだ。

しかし、さすがに2年は短い。だから5年と2年では大違いと感じる。大きなことは、抗がん剤で得られる延命期間というのは、重篤な副作用に悩まされる病床での期間であるのに対して、粒子線治療で得られる延命期間は自由な時間であることだ。

ここはなんとしても、渋る主治医を説得しなければいけない。多分主治医の考えているのは僕を連携のある大学病院の呼吸器科にゆだねることだ。医師にとって紹介状は結構大変なものだ。いい加減な判断に基づいた紹介状でも書けば、たちまち医師仲間からの評価を下げてしまう。同業者からの批判の目は厳しいのだ。専門が近いのに、よく知らない粒子線治療への紹介状は気が重いだろう。

僕の場合、本当は膠原病科、呼吸器科、血液内科、粒子線腫瘍科の医師からなる医師団を形成して、協議しながら治療をして欲しいのだが、そんなことはしてくれない。誰か一人が担当医となり、他の医師の意見も参考にするといったことに留まる。実際には、お互いを尊重するあまり、他の医師のすることに口出ししないのが鉄則になっている。

大学病院で、呼吸器科の若い生意気なレジデント医師が担当にでもなれば、どうにもならなくなってしまうのは目に見えている。これは前にも経験済みだ。検査にこだわり、肺生検に持って行こうとするだろうが、気胸が出たり胸水がたまったりして、この段階での問題で足踏みして先に進まなくなる可能性が十分にある。診療科を横断しての治療など望むべくもない。だから、大学病院は入り口が大切なのだ。粒子線腫瘍科に直接紹介してもらうために、いくつかの資料を用意してかなり意気込んで診察に臨んだ。僕にとっては、ここが勝負どころといった気持ちだった。

「肺がん宣告、余命2年かあ (3)」に続く)

微妙に増えた腫瘍マーカー [療養]

肺ガンの経過観察が続いている。一か月経っての再診には緊張してしまう。前回の診断でCTに現れた腫瘍が大きくなっていなかったことが希望の光だが、腫瘍マーカーSCCは陽性のままだ。体調は悪くない。

先生と一緒にCT画像を見ていく。あった。白い塊は依然として健在だが大きくはなっていない。腫瘍マーカーのほうはどうだろう。SCC=2.0.うーん、前回の1.7より少し増えている。基準値1.5より下がってくれたら、ガンではないとの診断になったのだけど、増えてしまったのでは経過観察は持ち越しになる。

しかし、ともかくも僕の腫瘍は発育不良で、急速に大きくならないことは確定した。まだまだ頑張れるということだ。腫瘍マーカーがずっと陽性のままだということも当然気になる。肺以外のところに転移して、密かに大きくなっているのだろうか。微妙に増えたというのがすごく気になる。

くどくど考えても仕方ない。大体、僕は検査数値に変な結果が出るという体質を持っているのだ。間質性肺炎は、いきなり急性増悪で始まったのだが、血痰を吐きSPO2が65という状態でも、KL-6は正常値だった。関節リュウマチも、左ひじの関節が破壊され、まっすぐには伸びなくなったのだが、痛みはあったのにHARAは正常値だった。いずれも、ある程度、症状が収まってから逆に数値が出始めるということになった。

白血病の薬であるグリペックを飲んでいたのだが、断薬を試みたら、とたんにγーGTPが跳ね上がった。副作用の逆だ。一年以上にわたって、γーGTPが高かったのだが、肝臓の肥大はない。それが、今回の肺癌発症とともに、ストンと下がった。

検査数値というものは、全くあてにならないものかと言えばそうでもない。KL‐6だって、HARAだって、後にはちゃんと出てきた。CRPは確実に体調を表している。

では、扁平上皮ガンのSCCはどうなのだろうか。またまた、くどくど、考えている僕。

大切なのは、そんなことではない。限りある命をどう満たすかだ。どっちみち、年齢からしてもあと10年以上になる確率は極めて低い。5年になろうが2年になろうか大きな差ではないのだ。心してポジティブに生きていこう。

転倒して骨折 [療養]

肺ガン執行猶予中の身ではあるが、体調は悪くない。さっさと歩けるから杖なんかいらないと言う気分だが、車の足元には杖がある。自宅に戻り、車から降りようとして、ドアを開けたら、この杖の片端が飛び出したらしい。足を引っかけて転倒してしまった。

顔面と左腕をコンクリートの床に、したたかぶつけたようで、メガネが壊れ顔面にも血が出ていた。しかし、痛かったのは左腕のほうだ。しばらく、地面に寝転がったままで、うめいていたが、なんとか立ち上がって家に入ることができた。

夜になっても痛みは取れず、翌朝、整形外科に行ったら、レントゲンを撮られ、左腕の関節が壊れていることがわかった。3か所ほど亀裂が入り、少し隙間が開いている。もともと、リウマチで変形して、動きが悪かったのだが、ステロイドで骨粗鬆症にもなっているに違いない。打った拍子に割れてしまったという感じだ。

普通なら手術するそうだが、僕の体は手術に耐えられる状態ではないから、ギブスで固定して癒着するのを待ちましょうと言うことになった。関節はさらに動きにくくなるらしい。ぶ厚い湿布薬のようものを肩から手首まで貼り付けて、包帯をまく。しばらくすると熱くなってきて、コチコチに固まってしまった。

一か月に及ぶ片手生活が始まったわけだが、人間にはなぜ腕が二本あるのかが、よくわかった。これほどまでに不便とは思わなかったのだ。今も片手で入力しているが、もどかしい遅さだ。それは、まだいい。cntl+alt+f5となるとお手上げだ。食事は片手でも食べられないことはないが、蕎麦をすする時にはおおいに困る。

服の脱ぎ着も問題で、まだ動かすと痛みもあるから、着替えの度に大騒動になる。胸のボタンはもちろんだが、靴下一つにしても片手で履くのは、なかなか出来そうでできない。すっかり、連れ合いに介護されてしまっている。しゃくだが、仕方ない。問題はトイレの時だ。ズボンを引き上げてボタンを留めるのは至難の業だ。男性トイレに来てもらうわけには行かないから、外出先でトイレに行かなくていいようにしなくてはいけない。

それにしても、なぜ、もう少し用心深くしなかったのかが悔やまれる。ギブスをしたままでは、温泉にも浸かれないし、車の運転も出来ない。助手席に座ってさえも、シートベルトに手が届かない。体調は悪くないのに、この夏の計画も全て御破算だ。実に悔しい。9月に予定している太平洋横断航海までにはなんとかギブスが外れると期待したい。

肺がん宣告、余命2年かあ (3) [療養]

レントゲンで小さな白い陰を見てから3ヶ月、CTと腫瘍マーカーで扁平上皮ガンと診断されて、治療方針を決めるための経過観察が続いている。粒子線治療に持って行きたい僕は、主治医の説得を試みようと、資料を用意して診察に臨んだ。

ところが、ガン診断から3ヶ月目になって、主治医の口から出てきたのは、驚くような言葉だった。消えた左胸の陰だけでなく、右胸の腫瘍もガンではないかも知れないと言うのだ。主治医が根拠とするところは「顔つき」である。ガンらしくない顔つきだとは当初から言っていた。僕の肺の状況は、間質性肺炎がすこしづつ進んでいて、左胸のようにCTで白い塊と見えるようなものがどこに現れたり、消えたりしてももおかしくない状態だそうだ。

しかし、腫瘍マーカーによる検査もはっきりとりと値が出ている。僕もブログなどを検索してみたがSCCの6.5というのは、生半可な値ではない。この先生は検査数値よりも「顔つき」を重視するのだ。ベテランで数多くの症例を見てきていることは確かだ。典型的なアナログ人間で、カルテもずっと手書きだった。病院が電子カルテを導入してしまったのだが、自分で入力できず、アシスタントが横について、先生が言うのを打ち込んでいるくらいだ。

インターネットであらゆる情報が手に入るようになり、たいていの論文も読めるから、検査数値に基づいた診断なら、勉強すれば素人にも出来る。こうした検査以外のところでの症例の蓄積による判断が医師にしか出来ない本当の医療なのだと思う。その点を高く評価して、近くに立派な病院が沢山あるのに、この主治医の転任先まで、わざわざ通っているのだ。

もうひとつ、主治医が指摘する重要な点は、3ヶ月経っても腫瘍が大きくなっていないということである。よく見ると心持ち小さくなっているような気さえする。増殖して行くからこそガンなのであって、大きくならないなら、ガンではない。少なくとも今急いで何らかの手を打つ必要はないから、このまま経過観察を続けるという意見だ。

「でも、腫瘍マーカーは相当立派な数値ですよ。 前回採血をして2度目の腫瘍マーカーテストもしていただいたのですが、結果は出ていますか?」

主治医もまだ見ていなかったらしい。コンピュータ画面に出してもらって驚いた。なんとSCCは、1.7に減ってしまっていた。基準値は1.5だから、陽性ではあるのだが、確実に高いとはいえない値だ。KL-6で言えば3000あったものが500になったようなものだ。あり得ない。あり得ることではない。

僕のように色んな病気を抱えている人は、普通にはいない。こういった特殊な人の場合、腫瘍マーカーは、その影響を受けてしまうことがある。だから僕の場合に限って、腫瘍マーカーの値はあてにならないということだった。こんなにも大きく変動することが、その証拠だというが、そのとおりと言うしかない。

それでは、ソラマメ君は一体何なのか?これについては主治医も首をかしげたままだ。ガンでない可能性があると言うだけで、ガンではないと診断されたわけではない。ガンは「悪性新生物」なのだが、その悪性度はまちまちだ。マーカーも陽性ではあるのだから、やはりガンではあるだろう。ただ、僕の場合、その悪性度が低く、成長が止まってしまった、あるいは、少しづつしか増殖しなくなったタイプのものである「がんもどき」の可能性がある。

長期にわたって共生できるガンなら、粒子線も抗がん剤もいらない。まだわからないが、ともかくも危機を脱したような気がする。家に帰ってしばらくしてから、開放感のようなものがこみ上げてきた。素直にうれしい。

肺がんになってしまったことは不幸だ。しかし、その中で、悪性度が極めて低いガンだったとしたら、これは不幸中の幸いである。またしても「僕の病歴」に不幸中の幸いが加わったことになる。

主治医に言われたことは、やはり、全体として間質性肺炎は少しずつ進んでいるということだ。「なんとなく過ごす日々」は、何時までも続かない。「余命2年」ではなくなったのだが、人生の終末がそんなに遠い未来のことではないことは、心得ておくつもりだ。

(「肺がん宣告、余命2年かあ」終わり) ----->(1)から読む

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