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抗がん剤の是非 [療養]

余命宣告から五か月後、肺癌の診断は撤回された。抗がん剤による治療は受けずに済んだのだが、抗がん剤の是非については意見が分かれている。ガン細胞を叩く薬剤は正常細胞をも痛めつけてしまうから副作用が大きい。確かにガンを小さくする効果はあるのだが、それが延命にどれだけつながっているかは、それほどはっきりとはしていない。がんで死ぬのではなく抗がん剤の副作用で死ぬのだと断言する医者もいるくらいだ。

だから抗がん剤を拒否して自らの死を受け入れるというのも一つの選択肢になる。一般論としては簡単で、「俺はガンになっても抗がん剤なんか使わないよ」と公言している人も多い。しかし、いざ自分自身がガンに直面して見ると一途の望みが抗がん剤になったりする。多くの場合、抗がん剤の使用に躊躇はしても、死ぬまで拒否し続ける強い精神力を保てるものではないようだ。途中で挫折するくらいなら、初期の抗がん剤効果が大きく、体力があるときに受け入れておいたほうがましかもしれない。

僕は慢性骨髄性白血病(CML)なので、チロシンキナーゼ阻害剤(TKI)の効果を身をもって感じている。白血病ガン細胞が増殖する信号経路にあるチロシンキナーゼ(TK)分子を標的にして結合し、がん細胞の増殖を止めてしまう。発症して10年近いのだが、今のところどのように検査してもがん細胞は見えないほどに抑え込んでしまっている。奏効率95%で特効薬と言ってもよい。CMLに関しては民間療法の入り込む余地はなくなってしまった。だから抗がん剤の効果を一概に否定することはできない。

統計上も、ガンに対する薬剤は徐々に進歩しており、ガン死亡率は減ってきていると言われている。しかし、この統計を頭から信じるわけには行かない。「がんもどき」あるいは「ニセがん(IDLE)」の問題があるからだ。僕の場合が実例で、もし、CTと腫瘍マーカーの結果から診断して、抗がん剤治療を始めていたら、「抗がん剤で治った」ということになっていただろう。いやいや、もし僕が春ウコンでも飲んでいたら、春ウコンが効くことの実例になっていたかもしれない。

福井の小児科医である木川芳春という方が、がん統計を解析してがん死亡率の減少は、過剰診断により、「ニセがん(IDLE)」が増えたことによるのだとの結論に至った。がん部位ごとの死亡率と罹患率のパターンを比較した分析の結果だ。現在、本を執筆中で、多分主婦の友社から出版されることになる。僕がやったジフテリア統計の解析に興味をもたれて連絡をいただいたことでこれを知った。

ガンの判定にはCTとか腫瘍マーカーがあるのだが、最終的には細胞を取り出し、病理検査で判定している。腫瘍の細胞を取り出してがん細胞かそうでないかを見ればいいのだから確実と思われているが、実はそうではない。主治医に戻される病理検査の結果というのは5段階あるのだ。
  1. 100%完全な良性
  2. まあ良性
  3. 要注意の良性
  4. 100%ガンとはいえないがかなりガンに近い
  5. 100%完全なガン

これをもとに主治医は患者に「ガンです」とか「ガンではありませんでした」という診断を伝えるのだが、グレーゾーンが多いことがわかる。細胞を顕微鏡で見た目視の判断だからだ。大腸がんの場合などは、3から4の段階に進むのに時間がかかったりする。ガンを見逃してはならないという意識が強く働けばがん診断は増えることになる。CTや腫瘍マーカーの結果があれば、当然それにも引きずられる。木川芳春さんの研究では近年過剰診断が増えてきており、それが抗がん剤の効果を高く見せかけているということだ。

自分自身が、がんになった場合、抗がん剤の是非は実に悩ましい問題として残らざるを得ない。

プレドニンの飲み忘れ [療養]

ぼくは、12種類もの薬を飲んでいる。飲み忘れと言うのは、処方と症状と関連がつかなくなり、医療としては絶対に良くない。しかし、起こるのを完全に避けるのも難しい。大抵の薬は、多少の飲み忘れも許容されるのだが、僕の場合、ステロイド剤の飲み忘れは、てきめん体調に響く。なんとも体がだるく、体の節々が痛むのだ。

旅行から帰ってきて、しばらくは体調不良が続いた。旅行中よりも良くはなったが足の痛みは続いていたし、元気ではなかった。特に午前中がつらい。まあ、年とともに体力が減って来ているのだろうと考えるしかない。それがある日の午後、極端な不調に陥った。とにかく、節々が痛い。歩くとすぐに意気切れする。座っていても体がだるく、とうとう微熱も出だした。食欲がなく、夕食は何も食べずに薬だけを飲んで、早々と寝てしまった。

翌朝起きたら、少し回復していたようだったが、やはり不調ではある。ここで、前の日の朝、薬を飲み忘れていることに気が付いた。飲んだつもりだったのだがカレンダー式の薬箱に薬が残っている。はたして、朝の薬を飲んで、午後になるあたりから、著しい回復が見られた。そして夜は見事に回復していた。ステロイド効果恐るべし。

以前にもプレドニンを飲み忘れて、体調不良を感じたことはある。しかし、今回はひどかった。考えて見ると、以前は朝5㎎、夕5㎎の一日10㎎だったのだが、肺ガンの騒ぎで朝夕それぞれ2倍にした。これを下げていくのに、夕を減らして行ったのだ。朝10㎎、夕2㎎になっていたので、朝の飲み忘れは影響が大きかったのだ。

プレドニンは、通常は朝を多くして波を作る方が効果が高いとされているので、朝10㎎夕2㎎は悪くない配分だったのだが、朝の飲み忘れは厳しいことになる。飲み忘れのリスクを避けるためには、朝と夕に分散させた方がいい。朝7㎎夕5㎎を飲むことにした。

それから一週間、体はどこも痛まない。すこぶる調子がいいのだ。素人考えではあるが、ステロイドは一度止めてリセットすると体調が改善されるという話もある。まんざら、出鱈目ではないような気もする。薬の効き方は人によって、随分異なるからだ。旅行中もずっと続いていた午前中の不調は、プレドニンの飲み方のせいではないだろうかと思いついた。朝多く飲むと、血中濃度が高まるのは3、4時間後だから、午前中というのは一番ステロイドが効かない時間帯になる。

ステロイドは魔法の薬。作用機序はまったくわからないのだが、リウマチから間質性肺炎、果は鬱病にまで効く。ムーンフェイスや免疫低下、糖尿病や骨粗鬆症といった副作用も多い。しかし、僕はステロイドを飲みだして10年にもなろうとしている。長年にわたる服用で、おそらくもう、膵臓からはほとんど分泌されなくなっているだろう。

ステロイド薬とはこの先もずっと付き合っていかなくてはならない。主治医は、朝が多いのが一般的だが、飲み方は特に指示しないと言う。自分で、適正な量と、飲み方の配分を見つけていかねばならない。僕の場合、均等に近い配分がよさそうだ。

緑内障の手術で入院(1) [療養]

病気のネタには事欠かない。今度は緑内障だ。一年ほど前から眼圧の高いことが続いていた。しかし、それ以前に、僕の目には経緯がある。間質性肺炎の急性増悪をなんとか乗り切って退院したのだが、目の調子が良くない。眼科に行ったら視力が極端に落ちていた。近視の度が急激に進んでしまっていた。おまけに乱視が入り、青信号が5つに見えた。

眼科の専門医を訪れて、白内障の手術が必要だと言われた。別に視野が白濁しているわけではないので診断に納得できなかったのだが、他に問題があっても、まず白内障を手術しないと原因の究明ができないと言うことで白内障の手術を受けた。結果は素晴らしく、まったく良く見えるようになった。白内障は水晶体の屈折率がまばらになり、まず乱視という形で現れるものらしい。視野が白濁するなどというのは相当に進展してからだ。

ところが3か月後に視野がおかしくなりだした。オーロラのように部分的な歪みが出て見にくい。右目は実際的には役にたたない。この理由は硝子体が曇って見えないと言うことがあった。硝子体はレンズの奥にある目の玉の本体だ。白内障の手術で濁りが出たり、蚊が飛んでいるようなゴミが見えたりすることはあるが、2,3か月でなくなるのが普通だ。硝子体も新陳代謝があり2,3、ヶ月で入れ替わるからだ。僕の場合は全体的な深い、屈折率のムラみたいなものだが、いつまでたってもなくならない。

どうも循環がうまく行っていないようだ。この原因にはいろいろあって、他の重篤な病気があることが疑われる。もちろん僕は、間質性肺炎、白血病、リウマチと、いっぱい病気を抱えているから、思い当たる節は多い。しかし、どれも原因としてぴったりとは当てはまらない。ともかく硝子体を取り除けば、もやもやは消えるはずだ。ということで硝子体の除去手術を受けた。除去してあとに水がたまれば機能的にはそれでよいそうだ。

硝子体手術も無事に出来たのだが、ちょっと問題があった。瞳口の開きが悪く目の中が良く見えないので周辺部は取れなかった。しかし、視野に関係のある中央部は取れたから、見えるということに関しては問題が無くなった。視野がすっきりすると言うことはなんと気持ちの良いことだろうか。僕は大いに満足したのだが、主治医は顔をしかめている。なぜかと言うと眼圧が高いからだ。いいじゃないか眼圧くらい。血圧だって高めの人はいっぱいいる。

僕はそう思ったのだが、実はこれが問題だ。目の中の循環が悪いことは続いている。出口が塞がっているから眼圧が高くなる、視神経は高い眼圧に圧迫されると死んでしまう。失明の危険があるというのだからたまらない。しかし、現在では良い薬があって眼圧は下げられるという。毎日目薬をすることになった。

ところが、目薬をさしても眼圧は下がらなかった。それでは、ということで別の目薬が追加になった。次々と追加してついに6つの目薬を一日に16回にわたってつけることになった。これは、なかなか大変で、完全に回数をこなすのは至難の業だ。どうしても何回かつけ忘れる。失明すると脅されて頑張ったのではあるが、結局のところ眼圧は下がらなかった。

まだ自覚症状としては視野の欠損はない。しかし、検査をすると盲点のような部分がポツポツと出てきている。眼圧もだんだん上がって35㎜Hgにまでなった。「年明けをまたず、急いで手術をしたほうがいい」と言われたのは4日前のことだ。それで明日から入院することになった。traveculectomyという手術なのだが、ようするに金属パイプを目に入れて房水のバイパスを作る手術だ。なかなか難しいらしく、まだできるお医者さんは少ない。主治医がやると言うのだからお任せするしかない。

不安はあるが、まあ命には別条のない入院だと、おおらかに考えることにする。僕の急な入院を、まわりも心配してくれているようなのだが、どうも真剣味が感じられない。腰痛が治らない配偶者にとって、誰が毎日背中に湿布薬を貼るのかが問題だそうだ。孫は24日が入院中になることを、ことさら心配してくれている。せっかくサンタさんが来ても、なんとおじいちゃんは留守なのである。

続きは-->緑内障の手術で入院(2)

緑内障手術で入院(2) [療養]

緑内障の手術というのは嬉しくない。なぜって、手術の結果なにも良くならないからだ。緑内障で失われた視神経が回復することはない。その上手術の結果、眼球が歪み、乱視が出て手術前より確実に視力が低下する。多少の視力を犠牲にしても、眼圧を低下させて将来の失明を避けるというのが、手術の主旨なのである。

目の玉を丸く保つために眼内は10㎜Hgくらい圧力がかかるようになっている。光彩の裏側で房水が作られ、これがレンズの淵を通って外側のシュレム管に吸収される。この速度が適当に保たれると房水の圧力が適正になる。緑内障はこのバランスが崩れ、房水の吸収が悪くなることで起こる。房水の取り入れ口にあるフィルターが目詰まりを起こしているのだ。

対策としてフィルターをとり外す方法があるが、経路自体が細くなっていることもあるので、効きは悪い。だからバイパスを作って別の経路で房水を流すのが良い。トラベクレクトミーと言われる手術は、白目と茶目の境界の所で、白目部分に4㎜x4㎜くらいの短冊型の切り込みを入れて、白目の表面の短冊を薄く切って持ち上げる。その下から穴をあけて、ふたをすると、短冊の隙間から房水が少しづつ流れ出るようになる。目玉全体は結膜に覆われているから、流れ出た房水はシュレム管ではなく結膜の血管に吸収される。

この手術の難しいところは、傷は癒着して治らなければいけないのに、穴が塞がってしまってはいけないというところにある。近年開発された技法はこの穴のところにステンレスの管を入れるということで日本では数年前にやっと行われるようになった。管がずれたりしないように鍔と返りが付いているものがエクスプレスという商品名で認可されるようになったからだ。短冊が癒着しないようにマイトマイシンCという薬を塗りつける。これは本来抗がん剤で細胞の増殖を妨げるので癒着も防げるのだ。

流れ出た房水はいったん結膜と強膜の間にたまる。そのため白目にちょっとこぶができる。このブラブが出来ることで流れが安定するが、流量の調整は短冊の蓋の強さで決まるから、手術後に短冊の端を縫い付けている糸を切ることで調整する。だから手術自体は短時間で終わっても1,2週間の入院が必要なのだ。糸の切除は結膜を切らなくてもレーザーでできる。

とにかく細かい業だ。チューブを挿入する技法の開発で成功率は高まったが、目の内部に素通りの経路が出来てしまうから感染症の危険も増える。怯えながら手術を受けることになる。僕の主治医は、多分先進的にこの手術を取り入れてきた人で、まだ若いのだが年に40件くらいの経験を積んでいるそうだから、まあいいだろう。しかし、大学病院というのは信用がならない面がある。

今回も、手術前の検査は研修医だった。「右を見て、あ、やっぱり左、やっぱり右」。コンピュータに打ち込むのだが途中でわからなくなって誰かに聞きに行った。「明日の手術は左目ですね」。「いえ右なんですけど」。またどこかに行って戻ってきて「右ですね、腕に書いておきましょう」といった具合だ。

執刀は主治医で、学生や研修医に説明しながらやる。最初の目玉への麻酔注射が痛いだけであとの痛みはほとんどなく、20分くらいで終わった。眼前は見えているから、メスが動いたりするのが見える。ぐいぐいと目玉を押されるような感じが時々ある。やはり緊張するから肩がこって、疲れる。車椅子で部屋に戻ってしばらくは安静ということになる。

右目はガーゼで目隠しをされたまま、成否は明日の診察までわからない。

続きは-->緑内障の手術で入院(3)

緑内障手術で入院(3) [療養]

外は寒いようだが、病院の中は暑さ寒さの心配はまったく要らない。一日中をパジャマで過ごす。三度の食事はベッドまで持ってきてもらえるし、後片付けもいらない。気楽なものだ。以前入院した時は大学病院らしく、極めて重症の人ばかりで驚いたのだが、眼科の入院はたいてい短期だし、命に別状がないので雰囲気は明るい。同室の人たちとおしゃべりをしたりして、結構くつろげる。

しかし、当然行動は制限される。手術後はシャワーも出来ないし、病棟外には散歩にも行けない。食事はあてがわれたものだけである。病棟に閉じ込められたままだから、刑務所のようなものだが、インターネットを使ったり、面会に来てもらえるのがが違うところだ。

部屋にはベッドが4つあるのだがゆったりした広さがあるし、テレビや冷蔵庫もついている。僕はテレビを見ないし、冷蔵庫もいらないのだが、差額ベッドしか空いてないということで仕方なく一日1600円くらいを余計に払うことになった。どの病室も食事は同じだからつまらない。飛行機のビジネスクラスのようなわけには行かないようだ。

目の玉を切ったり突いたりには恐怖感を覚えてしまうのだが、麻酔後に痛みはないし、短時間で終わった。手術の翌日に眼圧を測ると6㎜Hgだった。30㎜Hgから劇的な下がりだ。普通はフラップの癒着が始まり2,3日でまた上昇する。フラップを縫い付けた糸を切って調整するのだが、僕の場合は、2日目にも7㎜Hg、3日目にも7㎜Hgで、あまり上昇はしていない。しかし、4日目には9㎜Hgになったから、少し心配になったが、5日目に8㎜Hg、6日目には7㎜Hgだからまあ安定ともみられる。結局、無調整で終わることになり、7日目で退院することになった。
手術前1日目2日目3日目4日目5日目6日目7日目
32 ㎜Hg6 ㎜Hg7 ㎜Hg7 ㎜Hg9 ㎜Hg8 ㎜Hg7 ㎜Hg7 ㎜g
15日目21日目29日目43日目53日目84日目121日目
9㎜Hg13㎜Hg16㎜Hg15㎜Hg13㎜Hg14㎜Hg14㎜Hg

手術後の眼の見え方は、予告されていたとおり、やはり悪い。近くも遠くもにじんだようにぼけて良く見えない。これは2か月ほども続くらしい。左目は手術していないので見えるから実用的には支障はないと思うが、うれしいものではない。普段は右上のまぶたの下に隠れているのだが、白目にポコッとこぶがある。これが房水のたまるブラブだ。少し大きさが足りず盛り上がり過ぎているのが主治医も気に入っていないようだが、まあ、許容範囲だろう。

手術の傷が癒えて、全体的なボケが治まって来て違和感に気づいた。やっぱり、視野の欠損があるのだ。右目でべた文字の画面を見ると濃淡にむらがある。ぼつぼつと、ぼやけの島があるのだ。視野の中央付近もぼけている。先週、視野検査をした時には周辺部だけで自覚症状としての視野欠損はなかったのだが、手術までの一週間でかなり進展したことになる。改めて緑内障の恐ろしさを知った。ブログを読むと、もう少し早く手を打っていればという後悔が書いてあるものが多い。気づかないうちに進行してしまうし、その進行も早いのだ。僕の場合、完全に見えない部分はなく、左目が健全だから今のところ実用的には不便はない。診断からわずか5日で手術という機敏な対応がなかったらと思うとぞっとする。またしても僕の「不幸中の幸い」である。

問題は、もう少し長期にある。この手術で眼圧を下げても、またしばらくして眼圧の上がる人が多い。眼圧が上がる根本原因が取り除かれていないからだ。僕の緑内障は新生血管性のものだ。血流が悪いと目の中が酸素不足になり、新しい血管を作って酸素を補給しようとする。レンズの近く光彩の端に血管ができてこれが隅角の房水取り入れ口をふさいでしまうのだ。網膜にも新生血管が出来てしまうのだが、新生血管は応急的なものだから弱く出血しやすい。出血などが起こると房水の圧力は高まってしまうし、直接的に黄斑変性が起きたりもする。

新生血管緑内障は、多くの場合、糖尿病の合併症として引き起こされるから血糖値の管理が有効な対策になる。しかし、僕の場合はステロイドの副作用で血糖値が上がってはいるが、HbA1cの数値で6.5程度を保っているから、普通に考えれば緑内障を起こすほどのものではない。新生血管は炎症とか他の原因でもおこるのだが、原因は結局よくわからない。

注意しなければならないのは目の感染症だ。トラベクレクトミーの結果、目の中まで穴が空いているから感染症になると大変なことになる。感染症事故は3%というから、そうまれな事ではない。さらに調べて見ると、「新生血管緑内障は難治性で最終的には失明になることが多い」とある。困ったものだ。なんとか進行を引き延ばせればそれでいいのかも知れない。僕の寿命もそう長くはないのだから、それまで視力を保てればそれでいいのだと考えよう。

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POC(携帯用酸素濃縮器)の修理 [療養]

僕がPOC(携帯用酸素濃縮機)を手に入れたのは2009年のことだ。まだ日本では使われておらず、アメリカからの通販を試みたのだが、日本では販売も許可されていなかったので、受け付けてもらえなかった。医療機器の会社として、法令違反にはやたらと敏感なのだ。

友達に頼んでアメリカの住所で手に入れてもらうにしても、大型のリチウムイオン電池を含む機器は、荷物として送ることはおろか、飛行機への持ちこみもできない。患者本人が使う場合に限って機内への持ち込みができるという代物だから、買ったとしても持ってきてもらうことができない。そもそも、購入には日本ではなく、アメリカ医師の診断書がいる。診断書をもらうにはアメリカに行かねばならず、アメリカに行くにはPOCが要るから「にわとりと卵」だ。

仕方なく裏技的に台湾から手に入れた。ちょっと怪しげな業者だったので気を揉んだが、なんとか手に入れてくれた。随分高くついたが、僕の酸素生活はこれで大きく広がったのだからその価値は十分あったと思っている。pocなしでは外国に行く事は不可能だ。

手に入れるのに苦労しただけでなく、実はメンテナンスにも問題がある。POCはゼオライトの交換が必要になるから何年か使えば必ずメンテナンスがいる。もちろん日本では修理できないし、日本には販売しないと言うことだから、送って修理をしてもらうことも出来ない。

僕の場合、アメリカへのちょっと長い出張も多かったので、その時に修理するという手を考えていた。修理中も酸素を使わないわけには行かないから、2台いることになる。手に入れた一台を使ってアメリカに行き、すぐにもう一台を手に入れた。二台目は安く買えた。

しかし、2台あればメンテナンスも出来ると考えたのは甘かった。その後何度もアメリカに出かけて一か月も滞在することはあったのだが、滞在中に修理が出来上がるという確証がなければ修理に出せない。修理が出来上がった時には頼んだ時の住所におらず、日本に帰ってしまっているということになりかねない。だから結局は修理に出せなかった。

メンテナンスの苦労は今も続いている。今では、日本でも使用できるようになって、酸素会社によってはPOCを使わせてくれるところもある。在宅酸素療法の保険点数の中に含まれるから、余分な費用負担もないから、こんなありがたいことはない。しかし、酸素会社とは病院が契約するので、患者が選ぶというわけには行かないのだ。僕の場合、酸素会社は自社で開発中らしく、外国製のPOCは扱わない。国産のPOCはFAAの認定がないから飛行機では使えず、あえてボンベと取り換える意味がない。

国内でも使えるようにはなって代理店もあるのだが、保険適用であるため、病院を通してレンタルをする酸素会社への販売しかやらない。個人所有は除外されている。レンタル費用の1年分くらいで買えるのだから不合理だとは思う。代理店に掛け合って見たのではあるが、個人所有のPOCの修理は引き受けられないと言う。

こんなことだから、POCを使い続けるのはなかなか面倒なのだが、今回、息子がサンフランシスコに住み始めたので、そこから修理に出して、今度日本に来るときに持ってきてもらうことも可能になった。電池を外しておけば飛行機にも乗せられる。やっと2台買った意味がでてくる。バンクーバーから横浜への太平洋横断の船旅を企てた僕は、行く途中でPOC二台を持ってサンフランシスコに立ち寄った。が、実はこれもなかなかうまく行かないことになってしまったのである。

実際のところ6年以上も使ったのでゼオライトの劣化は始まっている。なかなか酸素の純度が上がらないようになってきた。古い方は赤ランプが点いたままだ。困るのは「純度低下」のワーニングでピーピー音を出すことだ。船のレストランで食事の時など、周りの正装した乗客への迷惑も甚だしい。そこで、1台は修理に送り出すとして、もう一台のブザーの線を外して、POCをおとなしくさせることを考えた。これを思いついたのが、サンフランシスコに行ってからだったのがまずかった。

僕は手先が器用な方で、工作には自信があったので。これくらいのことは、しばらく酸素をはずしている間にできると思った。しかし、昨今の病気のせいで結構不器用になってしまっていることに気が付いた。ネジは落とすし、手先は震える。はめあいをうまく合わせられない。ブザーの位置を探し出し、これとおぼしき線をはずしたが音は止まず、もとに戻して組み立てたら、ディスプレイの表示がなくなってしまった。

これはまずい。ひと騒動あって、結局息子に手伝ってもらって復旧したが、酸素が吸えないことを心配する家人に引き留められてブザーを止めることは出来なかったから、船の中でピーピー警告音を出しっぱなしになってしまって周りに謝ってばかりだった。もう一方のPOCを修理会社に送り出すことはできた。船旅で帰国した一か月後、息子の所にPOCが帰ってきたという連絡があった。それを日本出張の折にもってきてくれた。やっと修理ができた。

ところがである。受け取った僕のPOCは電池をを入れても、うんともすんとも動かない。動作確認をしたのだろうか、明らかに修理ミスだ。酸素濃度が低いだけで、電池を入れても動かないなどという不具合はなかった。会社に連絡すると送り返せという。そう簡単には行かないのだが、そうは言えない。僕はアメリカに住んでいるということになっているのだ。息子に持って帰ってもらいサンフランシスコの住所で送り返してもらった。ちょうど息子の仕事が猛烈に忙しくなったようで、実際に会社に送ったのは一か月もしてからになってしまった。

会社からメールが来て、「新たな修理を受け付けました見積もりはXXドルです」と書いてある。冗談ではない。そちらが作った故障だろ。「見積もりに不満の場合、XXドル出してもらえば修理せずに送り返します」「こちらで処分してしまうのがお望みならそうします」

頭にくるような文面なのだが、こちらには住所を偽装しているという弱みがある。通常は日本では使えないPOCを無理に使っているとこういう所にまで波及する。理不尽な請求にも屈服するしかない。手に入れるにも苦労したが、使い続けるのにもさらなる苦労がいることを痛感した。

それでも、国内にとどまらず、どこにでも動ける自由には代え難い。僕はPOCを使い続ける。金を払い、また息子の出張の機会に持ってきてもらうことにする。大荷物で大変だろう。

開業医の囲い込み疑惑 [療養]

緑内障の手術を受けた時に、「手遅れ」を悔やんでいるブログが多いことに気が付いた。僕の場合、もともと大学病院に通院していたから、手術が必要との診断から、わずか5日目に手術になったのだが、それでも、土日をはさんだこの5日間の進行が、視野欠損を少し残した。入院中に知り合った患者さんの場合も、「手遅れ」の人が多かった。町医者にかかっており、どうしても手術が必要となった段階で大病院を紹介され、予約や再検査などで時間を食っているうちに大きな視野欠損を作ってしまったと言う結果だ。

大きな視野欠損ができるまで放置されていたと言うことも多い。なぜもっと早く手術の決断ができなかったかと言うと、まだ薬剤で対応できるという町医者の医療上の判断が甘かったということもあるだろうが、患者を手放したくないといった囲い込みの意図が働いたのではないだろうかとも思われる。開業医は医者であるとともに医院の経営者なのだ。

そんなわけで僕は今、開業医に対する疑心暗鬼に陥っている。連れ合いは、半年前から腰痛で整形外科に通っていた。X線写真を撮ったが、特に問題はないとして、腰を温める温熱療法を施した。そのときは気持ちがよさそうなのだが、それで治るわけでもなく、毎日腰を温めるだけに通い詰めた。連れ合いは多発性骨髄腫を抱えているので、そのことも伝えたのだが何の言及もなかった。痛みが減ることもなかったのだが診察もしない。引っ張り機械や温熱装置を多数設置して、看護師が患者を機械に座らせるだけの医院だ。

血液内科を受診した時に相談したら、まだステージ1だから骨変異が起きる段階ではないのだがPETを撮ってみることになった。PETの所見で腫瘍は見られずブドウ糖の集積もないが、第3腰椎と第11胸椎に圧迫骨折があると書いてあった。驚いてこれを整形外科に持っていくと「そういえばX線写真にも圧迫骨折が見られますね」である。

MRIは見えにくい骨折の診断にも有効なのだが、PETが骨折診断に使われることはない。あくまでも腫瘍などの骨変異の発見に用いられるもので解像度も5mmくらいしかない。骨折は普通のX線写真のほうが良く見えるくらいだ。医院にはX線技師がいてレントゲンは撮るのだがそれは何のためだったのか。まともに結果を見ていないのではないかと疑われる。

多発性骨髄腫の検査数値が上がり、抗がん剤治療のため入院することになった。これで、頼りにならない整形外科とはお別れになると思ったのだが、そうはうまく行かない。入院することを伝えると、入院先とは別の大病院に行ってMRIを撮ってもらって来いと指示された。持ち帰ったCDに大きく「要返却」と書いて、入院先へ紹介状を書かれてしまった。入院先にも整形外科はあるしMRIも出来るのだから、患者を手放さないという意思表示に見える。

入院先の病院では血液内科で痛み止めの麻薬を処方された。整形外科も見てほしいと頼んだのだが、うちは急性期病院でリハビリ中心の治療には向いていないので、骨折のほうはもとの医院に診てもらってくれと言う事になった。多分、紹介状にはリハビリが強調されていたのだろう。

多発性骨髄腫では、進行により骨折などが起こることは必定なので、整形外科と血液内科の連携が必要だし、ゾメタ治療も考えなければならないはずだ。ゾメタ治療の前には歯科治療をしてしまっておかないといけないのだが、整形外科で骨粗鬆症の予防薬を処方されていると、歯科治療が出来ない。この先の不安がつのる。

町の医院で一番重要な判断は、患者の手放し時にある。病気の多くは、手軽に診療を受けられて全快するのだから自信を持って患者に対応してもらっていいのだが、重篤な病気の場合、医院の経営が手放し時の判断をゆがめるとなると大きな問題だ。僕の疑心暗鬼が解消するような情報はあるのだろうか。

ステロイドと感染症 [療養]

僕が間質性肺炎に対して服用している主要な薬剤はステロイドなのだが、効能を見ると、膠原病、ネフローゼ、関節リウマチ、重い喘息、ひどいアレルギー症状、めまい、耳鳴り などが挙げられており、実際には内科、耳鼻科、眼科、皮膚科、精神科など、あらゆるところで使われる万能薬のようなものだ。ある医者は「原因不明で対処法の無い時はとりあえずステロイドですね」などと言っていた。

しかし、その使い方は難しい。ステロイドの弊害がとりわけ皮膚科などで取りざたされることが多い。湿疹などに劇的な効果を示すのだが、常用していると、前にも増してひどい症状が現れてくる。一般的にステロイドを増量した時に効果が顕著なのだが長続きしない。間質性肺炎ではパルス的に短時間の大量投与が急性増悪の対処法になっているが、これもなかなか難しいようだ。

僕の場合も、一回目のパルスは効いて急性増悪を逃れることができた。しかし、2回目の時は効果が見られず、あちこちに感染症が現れ、発熱が続き、視力が衰え、体がふらつき、肺の炎症は増大し、大変な目にあった。先生の英断で、検査数値を無視して、レントゲンの所見で見ながら、とにかくステロイドを減らして行くことにしたのが功を奏して回復を果たすことができた。パルスを与える前のステロイド量が多いとパルスの効果がないように思う。

定常投与も分量が微妙で、わずか1㎎でも、大きく体調が変わることが多い。増やすときは、大きく増やし、いつまでも続けず、徐々に減らして行くと言うのが定番の使い方になっている。増やし方が足らず追加して行くことになるとかなりの量でも効かない。減らし損なうと副作用ばかりが残るし、一気に減らすと症状の再発が起こってしまうから、この、増やす減らすのコントロールが非常に難しい。経験を積んだ臨床医の業だと言える。人によってステロイドの作用は異なり、体の変化を一番鋭敏に感じられるのは患者本人だから、患者の方の修練も必要なのではないだろうか。

ステロイドを服用している人が一番気にしているのは感染症の問題だろう。ステロイドは免疫抑制するので、当然感染症リスクは高くなる。しかし、それがどの程度であるかは人によって異なる。過剰防衛で引きこもってしまったりするのも考え物だ。僕の場合は現在13㎎であり、普通にはかなり用心が要ると言われている分量なのだが、あまり気にしていない。今年は、人の集まる所に出かけることもあったが、インフルエンザにもかからなかったし、風邪も引いていない。

ステロイドは副腎皮質ホルモンであり体内でも8㎎-10㎎位が分泌されている。長期にわたってステロイドを服用すると、徐々にその投与量が増えてくるのは副腎からの分泌が減ってくるからだ。僕のように10年もステロイドを外部から注入していると、副腎からの分泌はもうあまり行われていないだろう。だから13㎎飲んでいても、通常状態からの増加量は実質的には5 ㎎ということになる。5㎎なら、そう用心深くする必要もないのだ。

出かけるときは厳重にマスクをすることが推奨されているようだが、これも僕はあまり意味がないと思っている。ウイルスの大きさを考えればマスクなどは素通りすることが明らかだ。咳で飛沫が飛び散るから、うつさないためには有効だが、うつされないためには無意味だ。むしろ、うがい手洗いが大切だ。ドアノブなどについていた菌を手で触り、手から食物とともに口内に入るといった感染が一番多い。

長くステロイドを使っている場合に気を付けなければならないのは「飲み忘れ」だ。体内からの分泌がないから、飲み忘れた場合、極端なステロイド不足が起こる。体のあちこちが痛み、倦怠感、発熱と言うことになる。完全に体調のバランスが失われる。とりわけ、朝に分量を集中させているとこの被害が大きい。体内分泌の不足を補う分があるなら、それは朝夕に分散すべきだろう。だから今は、朝8㎎夕5㎎という配分にしている。

間質性肺炎や膠原病に対する唯一とも言える効果的な薬剤であるステロイドだが、骨粗鬆症とかミオパシーによる筋力の低下とか、避けがたい副作用を伴うこともまた事実だ。僕の体はステロイドで持っているようなものだから、これをやめるわけにはいかない。なんとか、うまく付き合って行くしかないのだ。分量のコントロールに習熟する必要がある。

医療費が増えて行くのは当たり前 [療養]

間質性肺炎+白血病+多発性骨髄腫。夫婦で病院通いが続くと医療費はかさむ。高額医療費制度で頭打ちになってくれるのは大いに助かる。もし、あのままアメリカで暮らしていたら今頃確実に破産していただろう。高額医療費制度は実にありがたいものだ。

しかし、これは僕の負担が減っただけで、国全体の医療費負担が下がるわけではない。2015年段階で42兆円、数年で54兆円になると試算されている。国は一生懸命医療費の抑制策を検討している。高額医療費の限度額も増えた。この先制度自体を「改革」しようとしているという。とんでもないことだ。

病気にならないように、予防に力を入れるというのが最近のアプローチで、これはこれで正しいのだが、医療費の削減に役立つと言うのは本質的におかしい。健康に気をつけて体を丈夫にしたところで、結局人間は死ぬのだから生涯にかかる医療費が減ることはない。人生50年が100年になれば当然、風邪薬は2倍必要だ。長生きすれば、それだけ医療費は増えるのである。

高度な治療で今まで助からなかった病気を克服できるようになった。これは素晴らしいことだ。これに医療費がかかるのは仕方がない。しかし、それだけではない。その時は生き延びて、もう一度重篤な病気になって、さらに医療費を使って死ぬのだから医療費は二重に増えて行くのだ。

長生きすれば医療費は必ず増える。人類が豊かになり繁栄すると言う事と医療費が増えると言うことは一体なのである。医療費を抑制するなどと言うことは出来ない。人類の幸福を追求するならばもっと医療費が使えるようにするにはどうしたらいいかが考えるべきことなのだ。

江戸時代に国家予算に占める医療費の割合は微々たるものだった。税金の大部分は将軍や大名の「宮廷費」と侍に配分する「軍事費」だった。これを医療や福祉に振り向けて行ったのが社会の進歩だったのである。

今後も医療は進歩し、人間の寿命が延びて行く。それならば国の予算はどんどん医療に振り向けざるを得ない。遠い将来、国家予算の大部分が医療に振り向けられるようになるのは当然の事なのだ。

政治の役割は、医療費を抑制する事ではなく、どうやって医療費を捻出するかにある。軍事費を医療に回すためには外交を工夫しなければならない。土木工事などを合理化して医療にまわす。官僚の無駄遣いは真っ先に省いて医療に回す。もちろん医療費内部での無駄は省かねばならない。

医療費を抑制して何かに振り向けるなどといった発想は根本的にまちがっている。
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「立ち上がり」「階段上り」を工夫する [療養]

連れ合いの多発性骨髄腫治療は薬をカイプロリスに替えてからかなり順調になった。副作用がないわけではなく、水木に点滴をして土日あたりはかなり倦怠感がある。それでもベルケイド+レブラミド当時に比べれば楽なもので、3週間に一度の休みがあるから、この間に体調を取り戻すことも出来る。4クールやって、IgGは正常値まで下がったし、βマイクログロブリンもギリギリ正常値だ。フリーライトチェーンがまだかなり悪くκ/λ=4.6なので投与を5クールに延長することになった。最初が3800といったとんでもなく高い値だったので、これでも幹細胞移植は出来る値だ。一月に入院して幹細胞移植をやる予定になった。

問題はむしろ僕の間質性肺炎の方で、最近とみに息切れが増えてきた。酸素量は3L/minに増やしたが、少し動くとSPO2が下がってしまう。ステロイドによる筋力の衰えが顕著で、歩行にも困難が伴うようになってきた。いろいろと工夫しなければならない。

椅子から立ち上がると言うのも楽ではない。立ち上がることの本質は,、お尻から踵への体重の移動だ。普通の人は、はずみをつけて体を前に放り出す、そうすると瞬間、体重が踵の方に移動するので、そのタイミングで足に力を入れて一気に立ち上がる。年をとるとこのタイミングをとらえる機敏な動きが出来なくなる。ゆっくりと立ち上がらざるを得ない。ゆっくりと立ち上がるには相当な筋力が要り、実は若い人でも難しいことなのだ。

ではどうすればいいかと言うと、踵を出来るだけ近く引き付けて頭を前に突き出す。踵を支点にしてお尻と頭のバランスで頭が勝つようにするのだ。そうするとお尻が浮き、前にかがんだ姿勢だが、体は足に乘った状態になる。ここでゆっくりと上体を起こして行けばよい。これが僕の立ち上がり理論だ。

階段を上がるのも基本は体重の移動だ。体を前に傾けて上の段に掛けた足の方に体重を移すのだが、実際にはこれがなかなか難しい。大きく体を傾けると重心は上の足を越えてさらに前に移動してしまう。前につんのめることになるのだ。それに合わせて反対の足を出せばいいのだが、そんな機敏な動きは出来ない。

階段を上がるのは、体重の移動量を最小限にして軸足を切り替える工夫がいる。下になる足は出来るだけ前に、指先が階段に当たるようにする。上になる足は出来るだけ手前にし、足が半分階段にかかるようにするのが良い。これで体を前に傾けて行けば上の足に体重が移動していく。下の足を爪先立ちにして親指で押してやる。

椅子からの立ち上がりより難しいのは、ここでどうしても片足立ちになる必要があることだ。片足立ちの状態で膝を伸ばして行く。ある程度膝を伸ばさないと下の足を持ち上げて両足立ちに切り替えることができないからだ。体重の移動量を最小限に押さえるのは、この片足立ちでのバランスを保つためだ。壁とか手すりがあればここは随分違う。

こうした工夫をしてもやはり筋力はいる。力を入れると息切れしてしまうから、休み休み時間をかけて登るしかない。早く階段に昇降機を付けたいと思っている。しかし、我が家の階段が狭く標準的なものでないことから、今までの所、昇降機メーカーからは全て設置工事を断わられている。少し工夫をすれば十分取り付けられるはずなので大工さんを頼んで自己責任で工事したいのだが、まだうまく引き受け手が見つかっていない。
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年の暮れ酸素足りずに入院に [療養]

酸素さえ吸っておればSpO2 >97を保てる状態がずっと何年も続いていた。しかし、しばらく前から労作時の息切れを強く感じるようになって来た。少し歩くと息切れがする。それでも12月の定期健診でも数値はあまり変わらず、念のため月末にCTをやってもらう事にはした。

ところが12月中頃からSpO2が下がり始めた。酸素量を3Lに増やしたのだが90ギリギリ、少し動くとたちまち70台に下がる。その内安静時も80台になった。4Lに増やしてみてもあまり変わらない。これはヤバイ。間質性肺炎で酸素量が急激に増えるのは致命的な危険信号だ。酸素量が増えだして半年で亡くなった友人がいる。

クリスマスイブには孫たちが来てくれてパーティーをした。二人とも絶好調で、一年生下の子は「2学期とくに頑張った子がいます」として校長先生に「赤いハンコを2つも押してある」表彰状をもらった。作文コンクールのことだ。上の子に至っては「今まで教えて来た中でも数少ない優秀な生徒です」などと通知表に担任のべた褒めの言葉が付いていた。塾で受験勉強をしたわけでもないのだが、希望する私立中学に推薦で入れてもらえることになった。

通知表を自慢し、エレクトーンを演奏しくれてくれたり、歌を歌っての楽しいパーティーであったのだが、こちらはそれどころではない。脈拍は常に100を超えている。起き上がって息切れ、着替えて息切れ、心臓がパクパクと苦しい。CTが予定されているクリスマスまで何とか持ちこたえて車を運転して病院に着いた。多分肺の中は真っ白けで、KL-6も跳ね上がっているに違いない。間質性肺炎は10年になる。いよいよ僕も覚悟を決める時期になったのか。

ところが血液検査の結果は「大きな変化はない」。えっ。KL-6も500。ただCRPは9.5もあって高い。CT画像を見ると確かに今までより白い部分が増えているが真っ白というほどでもない。10年前の急性増悪の時は真っ白だった。わかったことは、胸水がかなり溜まっていると言うことだ。胸水はある程度増えると急に呼吸に影響するようになる。そういえば大分前から足などのむくみがひどかった。少しづつ増えて行った胸水が臨界点に達したのだろう。

急遽入院して胸水を抜くことになった。点滴が始まり、数時間後にはもう随分と呼吸が楽になった。またしても僕の「不幸中の幸い」だったような気がする。老々介護のつらいところで、1月には連れ合いの大学病院への入院が予定されている。僕の入院が長引くと困ったことになる。なんとか年内に退院したいものだ。
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三日目でこの病院にも少し慣れ [療養]

とにかく息切れが強く駐車場から歩けず車椅子での受診になった。SpO2は80を切るし脈拍は120。即入院と言うことになり、その場で利尿剤とステロイドの点滴が始まった。病室に連れていかれベッドに寝てしばらくするともう落ち着いて来た。間質性肺炎そのものの悪化ではなく、胸水が溜まったためだとわかって気が楽になった。

今回の不調でNPPV(人工呼吸器)の効用に気が付いた。間質性肺炎で使っている人はあまりいないが、僕は睡眠時無呼吸症候群があるからこれを使っている。実際はBiPAPと言われる簡易型のもので正式のNPPVではない。マスクをして、同調器のように呼吸を検出して空気を押し込む。

肺が悪化してくるといくら酸素を増やしても苦しい。とりわけ苦しいのは労作時だ。運動すると酸素の必要量が増えるのだから仕方がない。安静にするしかないのだが、安静にしているつもりでも実は呼吸運動そのものが大きな労作なのだ。NPPVを使うと呼吸運動が外部から助けられて必要酸素量が減る。BiPAPは少し圧力を変えるだけだがそれでも効果がある。

実際、夜間BiPAPを使った時には明らかなSpO2と脈拍の改善があった。87が90になる程度だがこの違いは大きい。導尿チューブのおかげでトイレに起きる必要もなくぐっすり寝て、翌日のSpO2は92、3日目には96。ここまで来るともう苦しさはない。あちこちむくんでいたのがすっかり取れて、手などは皺だらけでまるで爺さんの手だ。あっ、そうか僕は爺さんなのだった。年を取るのは初めてだからなかなか意識が追い付かない。

今まで、国立大学病院と民間老人病院には入院したが、半公共病院は初めてだ。設備的には多少古くてトイレが遠い。酸素と点滴があって車椅子なのだが利尿剤を点滴して頻尿になる。さらに前立腺肥大を抱えているからということで、導尿チューブを付けられた。トイレの度に看護師さんのお世話にならなければならないのでは仕方がない。3重縛りであるが、結果的にはこれで楽になった。

この病院の最大の不満は食事だ。僕は病院食に満足する方なのだが、ここのは不味い。暖かい食事の提供を研究している大学病院や独自の無農薬野菜を使う老人病院はまだましだった。薄味だからこそ味付けに工夫がいるのだがその観念がなさそうだ。インターネットなどの設備は勿論ない。幸いに4階の窓際だからWiFiがつながる。外来で「圏外」が出た時にはどうしようかと思った。

いいところは、看護が手厚いことだ。老人病院と違って明らかに看護師の配置が多い。若くてきれいなお姉さんで、大学病院よりもフレンドリーな対応をしてくれる。トイレに連れていってもらったのに出なかったということもあるがにこやかなものだ。「着替えを手伝いましょう」「お茶入れましょう」「爪を切ってあげましょう」「シャンプーしましょうか」ベッドに寝たままで髪を洗ってもらった。

どんな高級ホテルに泊まってもこれほどのサービスはない。それでいて入院費はどのホテルよりも安いのだからすごい。「日本一周入院の旅」なんてのをつい考えたくなってしまう。もちろんこれは保険の負担があるからだが、看護師さんたちの献身的な職業意識に支えられているところが大きい。この人たちはもっと良い処遇にすべきだ。人類が進歩して医療が進めば病人が長生きできる。それだけ医療費がかさむことは当然なのだ。

何の役にも立たない軍事費に何千億円も使っている場合ではない、政治の役割は外交を駆使して、いかに防衛費を減らして医療費に振り向けるかを考えることのはずだ。「社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進につとめなければならない」と憲法25条に規定されており。医療費の削減は明らかな憲法違反だ。

「先生、年末年始は不在なんでしょう」と無理強いしたところはあるが、なんとか年内に退院できそうだ。ただCTで見る限り胸水は「少し減った」程度だ。胸水の影響はある程度溜まったところで急激に現れる。この「少し減った」が大違いなのだから「少し増える」に用心しなければならない。

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息切れに、なすすべがなく大学へ [療養]

年末の呼吸困難は胸水が溜まったことによるもので、短期の入院で復帰できた。ところが、新年になってまた息苦しくなって来た。利尿剤を飲んでむくみも殆ど無くなっているから胸水ではないと思う。酸素3Lでじっとしておれば息苦しさはほとんどないのだが、少し動くと、トイレに行っただけでも、息切れがひどい。体がふらついて立っておられず、杖をついての歩行も危うい。強い倦怠感があり何をする気も起らないし、右腕の筋肉がひどく痛い。

連れ合いが幹細胞採取のために入院中だったから、一人で主治医のいる病院まで30㎞をドライブする必要がある。しかし、とてもその元気はない。電車やバスを乗り継いでの通院はさらに厳しい。今の主治医が遠くの病院に移った時に月一回の事だから遠くてもいいかとついて行ったのだが、前からこの距離は気になっていた。

白血病、緑内障、前立腺は大学病院でお世話になっているから、この際、大学病院で総合的に見てもらった方がいいかもしれないとも思っていた。しかし、主治医との付き合いは10年に及び、手放しがたい安心感があるのも事実だ。主治医のいる病院も立派な中核的総合病院だから転院の理由は見つけにくい。もちろん大学病院は、近くて便利というだけの理由で受け入れてくれるところではない。

仕方なく、近所のクリニックに行ってみたが、当然扱いの範疇ではなかった。結局、大学病院に行けと言われて大学病院の呼吸器科を受診することになった。主治医のもとで治療を受けながら、素知らぬ顔で大学病院に行ったりするのは後ろめたい気がする。

酸素ボンベを担いでいれば、すでに治療中であることはすぐわかる。大学病院では、「ああ〇〇先生の患者さんですか」と言われてしまい、一応、ご希望があれば、こちらでも検査だけはして見ましょうと言うことで終わった。主治医も実は大学の教授だし、この地域の呼吸器科では指導的立場の医師だ。二重受診というわけには行かないのは当然だろう。その後、ステロイドを勝手に少し増やしたら多少落ち着いて来た。連れ合いも元気に退院してきたので、主治医のいる病院に出かけた。体調が悪い時には遠くてとても通えないとか訴えようと思ったのだが、その必要はなかった。

予期せぬことに、主治医の方から、大学病院の△△君と電話で話したよと言いだされた。今の状況は単純でなく、血液内科などとも連携を取らなければいけないから、この際大学病院に移ったらどうかと言うことだった。いろいろと気働きができる先生で、連れ合いが多発性骨髄腫で大学病院に入院予定であるといった事情もすべて斟酌して理由づけしてくれたのかもしれない。先生に長年の付き合いを感謝しつつ病院を後にした。

一方で、僕の病気が重篤な段階に来ていることを意識させられた。主治医も従来通りの処方に限界を感じたに違いない。平均寿命まで生きられるとは思えないので年齢的にも、そろそろ危ないころだ。もともと僕の間質性肺炎には得体のしれないところがある。ベルクロア音もあり、CT画像の曇りガラスは間違いなく間質性肺炎なのだが、急性増悪の時でさえKL-6が高くなったことがない。ステロイドに反応する事からリウマチ性とされているが、リウマチ反応はない。関節リウマチの症状は10年前から収まってしまっている。この際、一から検査し直してもらう必要があるのかも知れない。

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エッまさか、酸素流量増えたわけ [療養]

大学病院に移管されて初めての受診。息切れが強く駐車場から診察室までが遠い。やっとの思いでたどり着いた。これまでの老練で気さくな主治医と違い、鋭さをにじませた若い先生だ。CTの結果から、間質性肺炎自体は大きく悪化していないということだ。これは前主治医と同じ見立てだ。ではなぜ労作時にはこんなにも息苦しいのか。

苦しさの遠因は心臓にあると指摘された。NT-proBNPが極めて高いということだ。心臓に疾患があるのかも知れないが、むしろ胸水の蓄積から来る圧迫の可能性がある。利尿剤で胸水は取れたと思ったのだが少し減っただけに過ぎない。CTにははっきりと見える。ということで、胸水の抜き取り検査と心エコーになった。てきぱきと診断が速い。次の検診は検査結果が出てからで一か月後にすると言われた。

即入院でステロイドパルスなどの治療が始まるとと予想していた僕としてはあてが外れた。1ヶ月もほったらかしにされるのは不安だ。その間、水分抑制をしろと言う。僕はこれまで、脱水症状を起こさないように、しっかり水分を取るのが大切だど、起き抜けにコップ一杯の水を飲み、朝からコーヒーをがぶ飲みしたりしていたが、これはどうも正反対だったらしい。やってみると、利尿剤も飲んでいるから、たちまち変化が現れた。足のむくみはなくなり、逆に、見るも無残な干乾びた足になってしまった。骨にしわがれた皮が被さっているだけで、およそ筋肉と言ったものは見られない。

これでは歩行困難も仕方がない。不安定ですぐに転ぶから「伝い歩き」「つかまり立ち」しかできない。狭い家であってよかった。豪邸だったら捕まる所に不自由しただろう。困るのは二階に上がる階段だ。休み休み上がっても息切れが強い。昇降機を付けようとしているのだが、こちらの方は狭いためになかなか工事を引き受けてもらえない。

泥っとした茶色の液体になってしまっており、なかなか手強そうだが、水分制限を1ヶ月も続ければ、この胸水も減るかも知れない。しかし、現実にはなかなか息苦しさは改善しない。病院で風邪を貰って来たのか、熱を出して寝込んでしまった。こうなるとじっとしていても息苦しい。寝ている間、本当に苦しかった。酸素の流量を上げるしかない。3L、4Lと増やして5Lにしたのだが、それでもまだ苦しい。熱も下がって来たころ、どうもおかしいと気が付いた。5Lでも2Lでも出てくる酸素の勢いが変わらないのだ。

酸素会社に電話して濃縮器が故障しているのではないかと言ってみた。酸素会社が言うには、濃縮器は二重三重に警報装置がつけてあって、エラー表示が出ていない限り、正常運転であることに間違いないのだそうだ。苦しいと濃縮器のせいではないかと訴える患者さんは多いそうだ。それでも、ともかく現場を見に来てくれと頼んだのだが、週末だったのでそれは週明けになった。

サービス員がやってきて、機械の吐出量を測ってくれた。正常に出ているという。しかし、寝室までつながる長いホースの先端で測ったら1Lしかない。よく見たらホースの途中に亀裂があって、そこから酸素が漏れていた。ドアの下をくぐらせたりしているから、引っ張った時に傷をつけたらしい。

ホースを取り替えたら、随分呼吸が楽になった。あの息苦しさは何だったのかと思う。しかし、まだ息切れはあり、寝込んだせいでさらに安定性がなくなり、歩行どころか自立も難しい。外出するのに車椅子なんて、いやだいやだ。伝い歩きでも杖でもいいから、なんとか自力で歩行したいと思う。少しづつでもリハビリを欠かさないようにしなければならない。


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膿胸が息苦しさの奥にある [療養]

連れ合いは、幹細胞移植が無事に終わり、退院して来たが、倦怠感と背中の痛みは取れない。回復にはかなりの日数がいるようだ。一日を殆ど寝て過ごしている状態だから、僕の一人暮らし体制はまだあまり変化がない。それでも、二人でいることはやはり心強い。横に連れ合いが寝ているというだけで、僕はぐっすり眠れるようになる。

僕の方は相変わらず労作時の息切れが強く、歩行が不安定だ。大学病院で循環器への負担が極めて大きいと言うことが指摘された。確かに脈拍がいつも高い。胸水のたまりが、肺だけでなく循環器系の圧迫にもなっているのだ。なんとか胸水を減らすために利尿剤を処方されていて、頻尿である。しかし、水分の摂取も制限しているのだがなかなか胸水は減らない。胸水の存在はレントゲンにもはっきりと見えている。

なぜ、なかなか胸水が取れないかというと、実はただの水ではなく、濃いどろっとした液体になっている。水と言うより膿だ。胸膜が炎症を起こし化膿している膿胸と言われる状態にあるのだ。膿胸への対処は難しい。まず除菌しなければならないのだが、胸膜は血流の外にあるから抗生物質が届かない。外科手術で化膿した部分を手当てして、膿・菌を除去してやらねばならない。これが大変で、胸を開いて肺全体を洗うのだから、全身麻酔の大手術だ。

今の僕にこういった大手術に耐える体力はもちろんない。膿胸の症状はもっと重い場合が普通で、高熱が出て、激しい呼吸困難がともなう。僕の場合、息切れ程度で済んでいるから、もう少し様子を見ようと言うことになった。手術も、カテーテルを使った開胸しないで行うやり方もあるが、これとて肺全体に及ぶ大手術ではある。あと一ヶ月、水分制限と利尿剤で対処して見ることになった。

水分制限の効果は、ないわけではない。息切れは少し楽になって来た。トイレに行った後など、息を整えるのにかかる時間が短くなってきた。しかし息切れがあることには変わりがない。間質性肺炎自体は悪くなっていないので、ステロイドを減らして行く。膿胸にはステロイドが悪さをするからだ。ステロイドはミオパシーを引き起こし筋肉が減退する。僕の歩行障害はこれから来ているから、そのためにもステロイドの減量が望ましい。

介護保険を使って訪問リハビリを受けることになった。僕の今の状態は「要介護1」だそうだ。だけど、少しは歩けるようになっている。車の運転は問題ないから、少しだけれどもスーパーで買い物もしてみた。杖を二本使ってヨタヨタと無様な様をさらけることになるが、引き籠っている連れ合いよりましだ。しかし、病院の検査結果を見る限り、連れ合いの体力は今後回復して行くはずだ。そうなると僕は面倒を見られる立場になってしまう。

くそっ。リハビリ頑張って普通に歩けるようになってやる。秋にはっサンフランシスコまで行くつもりだ。
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体調はなかなか戻らず入院に [療養]

退院して一ヶ月。連れ合いの体調回復は目覚ましい。幹細胞移植の効果は歴然で、現在、無治療で過ごしている。一時僕が担ったはずの家事一切は再び彼女の手中に収まってしまった。それにひきかえ僕の方はますます元気がない。発熱があり食欲はなく殆ど何も食べられない。かつて83㎏だった体重は53㎏まで減った。

難航した階段昇降機の設置が出来て、伝い歩きさえできれば家の中では不自由しないはずだったが、座っているだけでも辛くて、一日中寝て過ごすことになった。まさに寝たきり老人だ。PCを開く元気もなくブログの更新も滞ったままが続いた。

この状態では病院通いもままならない。病院から帰って来て車庫から玄関までの数メートルでガクッと膝が崩れて地面に転げてしまう事があった。こうなると立ち上がりが大変で連れ合いだけではどうにもならない。ご近所の人に助けてもらってやっと家に引きずり込んでもらうことが出来た

病院に行っても、車椅子で外来で待っているのが苦しい。たまらず、寝かせてくれと頼んだら処置室のベッドで診察になった。明日も外来があるのだけど来るのが大変だと訴えたら緊急入院させてくれることになった。頼んでは見るものだ。普通は入院が決まってもベッド予約は1週間ほどもかかる。

入院して何をするかと言うと膿胸のドレンだ。胸膜の隙間にチューブを差し込んで膿を抜き出す。ただの胸水ではないからドロッとしていて簡単には出てこない。癒着があってセグメントに分かれていればセグメント毎にやらなければならない。気胸が発生するリスクは極めて高くなる。

先生方も悩んだようで一週間は外科と内科の協議で費やした。外科的には全身麻酔でカテーテルを入れて、癒着を剥ぎながら炎症部分に薬剤を注入するのが効果的だ。しかし内科的には全身麻酔はそのまま目が覚めなくなるという危険を考慮しなければならない。僕の体は何かのきっかけですぐに崩壊するような状態だ。

まずは局部麻酔でチューブを入れて見ることに落ち着いた。意外に多量の膿が出たので、薬剤を注入して炎症を止める事になった。うまく行けばこれの繰り返しで癒着が取れてさらに膿が出せる範囲が広がる。

膿胸は1.5リットルほどの溜まりがあると見積もられているのだが4日間かけて300㏄出せた。すでに効果は出ていて熱が下がり、食べられるようにもなり、こうしてブログの書き込みも出来るようになった。しかし胸膜がきれいになるのはまだまだこの先大変なようだ。しかし実は本当に大変なのは僕ではなく娘の病状だ。僕と同じ日に別の病院に入院したのだが状況は芳しくない。

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一ヶ月、いまだに寝たまま引きこもり [療養]

退院から一ヶ月。元気になって今頃は温泉にでも出かけているはずだった。ところがそうは甘くない。いまだに寝たきりに近い生活が続いている。原因は正体不明の発熱だ。周期的に発熱が起こり、37度台半ばが3日ほど、続いて38度台半ばの苦熱が2日、そしてまた37度台にもどる。こうなると寝ているより仕方ない。crpは12.白血球は15000もある。ところがCTを撮っても肺に大きな変化はない。呼吸器、腎泌尿器、膠原病でそれぞれ原因を他科に押し付けあっている状態だ。

もともとステロイドミオパシーで筋肉がほとんど無くなってしまい、かろうじて杖にすがって歩ける状態だったのだが、寝込めば極端に筋力が落ちてしまう。熱が下がったらリハビリに励むことが必要なのだが、息切れがして有酸素運動は出来ない。そうこうしている内にまた発熱で寝込む。そんな事の繰り返しで一ヶ月が過ぎたというわけだ。

それでも負けてはおれない。備えあれば憂いなし。正確には「憂い少しまし」だが、2階に上がるには昇降機が設置してある。これで風呂やベッドのある2階への行き来は問題がない。狭い家のありがたさ。家の中ではどこでも伝い歩きで行ける。しかし、起き上がって、立ち上がった時にはすでに息切れしてしまっているのが問題だ。SPO2も80代に下がってしまう。

外に出かける用意もしてある。玄関から車まで3m。段差があるのだが、いくつも踏み台を設置してある。壁伝い、ドア伝い、垣根伝いで車まで行けるのである。車椅子をレンタルするのは娘の49日法要のために練った策だが、これで一応どこにでも行けることになった。

車への乗り込みは、息切れでなかなか苦しいのだが、いいリハビリであることには間違いない。熱さえ出なければ、そのうち歩けるようになると確信している。現実は容易くなく、時々膝の力が抜けて立っておれなくなる。一度ひっくり返ると立ち直りには悪戦苦闘しなければならない。

一番問題になるのは車の乗り降りで転んだ時だ。屋内とちがい床はコンクリートだ。通院で車から降りて家に入ろうとしたときに不覚にも転倒してしまい。額を撃って、病院に運び込まれるはめになった。4針縫って抜糸までフランケンシュタインだ。

車への乗り降りは、近所の友人が来て、手助けしてくれることが条件になった。友人の親切はありがたいのだが、これも実は具合が悪い。寿司とかラーメンを食いに行ったりするつもりだったのだが、通院はともかく、こんなことで頼むのは、あまりにも心苦しい。まあ、用心深く実績を積んで、「見守り」なしで、出かけられると認められるしかない。

まだしばらく引きこもりは続く。
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リハビリをやりたいけれどなかなかね [療養]

寝たきり引きこもりから脱却するためにはリハビリが必要だ。誰でも入院生活で足萎えるが退院して一ヶ月もすれば、自由に歩き回っているのが普通だ。しかし僕の場合、心してリハビリに励まなければならないようだ。根本原因はもともとステロイドミオパシーで筋肉が無くなって来ていることだ。太かった足は見るも無残にやせ細っており、いずれ歩けなくなることは予告されていた。今がその時かもしれない。しかし、半年前には曲りなりにも歩けていた。入院生活による筋力の低下が重なっているのだ。

入院前から杖をたよりに100m歩くのがやっとだったから自由に歩き回るなどと言うことは望むべくもない。しかし、「歩けない」と「少し歩ける」には天と地の違いがある。少し歩けるなら一人でで出かけることが出来るし、温泉の大浴場に入ることもできる。歩けないとなるとすべて介助頼みだ。なんとか、「少し歩ける」になりたい。しかし、酸素ボンベ必須で強い運動は出来ないから鍛え方も緩慢だ。

体調がいい時には出来るのだからリハビリ強化の時だ。これまでも介護保険で週一回の訪問リハビリと言うのを受けて来た。筋肉をもみほぐして、足の前伸ばしとか深呼吸をやる。これに加えて病院で週二階の外来リハビリをやることになった。病院のリハビリ科は入院患者のためにあり、外来を受け付けてくれるところは少ない。転倒して担ぎ込まれた病院の外科の先生に頼み込んだのだ。こちらはまさに歩行訓練で、平行棒や歩行器を使って歩く練習をする。息切れでなかなかハードなのだが、しばらく休んではまた歩く。理学療法士さんが1時間もかけて僕に付き合ってくれるのだからありがたい。

学んだところによればリハビリは毎日やることが重要だ。週2日であとは寝ているのではだめだ。さりとて家の中で歩く練習というのも難しい。広い場所がない。そこで思いついたのはショッピングモールだ。天候にかかわらず快適な温度だし、床は完全にフラット。広さは十分にある。歩行器とかはないのだが、車椅子を僕が押すという方法がある。車椅子によりかかってしまうと前が持ち上がってつんのめるから、連れ合いに座ってもらって重しになってもらう。

これでリハビリ計画は万全だ。これだけやれば回復も早いはずだ。ところが、なかなか目に見えた成果がみえない。歩行器を使っての訓練は、20m位で息切れし、脈拍が130程にもなり休憩になる。これは筋肉ではなく肺機能の限界なので鍛えれば良いというわけでもなさそうだ。肺機能だって訓練で改善するのだが効果は緩慢だ。さらに問題なのは時々38度台の発熱があり寝込んでしまう事だ。4,5日寝込んでしまうとリハビリは振り出しに戻ってしまう。

最近は39度の熱が連日で、全くリハビリどころではない。呼吸器内科では間質性肺炎は悪化していないとのことだし、血液内科ではCMLの悪化は見られない。腎泌尿器も発熱がありそうな異常はない。お互い他の診療科に原因をなすくりあって「様子をみましょう」が続いているばかりだった。

しかし、ここに来てやっと少し進展があった。膿胸の方は、肺が委縮した隙間に胸水がたまっているが、肺が膨張してくるまで待つしかないと言う事だったが、あまり減ってこないので、胸水のサンプルを取って見ることになった。細いチューブを差し込むのは外来でもできる。結果は、やはり膿化しており、ただの水ではなかった。ただ粘度は高くなく、なんと300㏄も排出する事が出来た。どうもこれが影響していたらしく、まだ37.5度程度の発熱は続いているが、翌日から39度の発熱はなくなった。呼吸器の先生も関連がわかったからこれで何か手を打ってくれるはずだ。来月の診察が待ち遠しい。

37度台でも、まだリハビリはつらい。しかし、もう一度ドレインすればさらに良くなるのではないかと期待できる。そうなったら本格的なリハビリの開始だ。
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涼しくはなったけれどもまた入院 [療養]

7月末に退院して以来、歩けるようになる事を目指してのリハビリは、少しの進捗と発熱による寝込みでの中断・後退を繰り返して来た。発熱の原因が不明で、打つ手なしだったのだが、胸水が再び増加して膿化していることがわかった。外来でドレンしてもらって随分と楽になった。しかし、それも束の間、2週間で再度、発熱が始まった。案の定また胸水が増えて来ている。

それならまたドレンすれば良い。そう思ったのだが、先生の意見は、単なる繰り返しでなく、胸膜の炎症を止めなくてはならないから入院治療が必要だと言う事だった。外来でのドレンは注射針のようなものを刺すが、入院してのドレンは切開して少し大きなチューブを挿入する。おそらくチューブから抗生剤などを注入することを考えているのだろう。胸膜は血管が行き渡っていないから、注射や服薬では抗生剤が届かないからだ。

またあの病院生活が始まるかと思うと憂鬱だ。病棟に閉じ込められてどこにも出かけられないのではあるが、どうせ家にいても寝たきりだから同じことだ。確かに病院食は不味いのだがどっちみち食欲はない。嫌なのは「押し付け看護」だ。爪を切ってくれたり、体を拭いて着替えさせてくれたり、便が出ればお尻まで拭いてくれて親切ではある。

身の回りの世話は全てやるから、患者はひたすら寝ていろと言うわけだ。多くの患者のように日がなテレビを見て過ごすことを期待されているのだが、僕はテレビが嫌いだから家でも見ない。「痒い所はありませんか」「寝る姿勢を変えましょう」、しょっちゅう見回りに来て患者の一挙一動を全て管理しようとする。これが鬱陶しい。

トイレには車椅子で連れて行くから看護師を呼べと言う。そんな時間的余裕はない。尿瓶を使わせてくれと言うと、これもその都度持って来るから看護師を呼べと言う。前回の入院では5分ごとに呼んで、「出ませんでした」を繰り返してやっと尿器を傍に置いてもらえる様になった。

生活時間を厳しく管理しようとして、夜九時消灯でそれ以降は本も読めない。枕元に明かりはあるのだが、点けていると巡回して来て消してしまう。一番困るのはインターネット禁止と言うことだ。今時不合理極まりないのだが、規則だと言って譲らない。パソコンも電源をつないではいけない。充電したものを持って来てちょっと使うだけだと言えばやっと所持は認められる。

これにはとても耐えられないから、こっそりインターネットに接続するのだが、巡回してくる看護師の目を盗むのは大変だ。食べ物の持ち込みも、果物生ものは原則禁止で、これには甘い看護師と厳しい看護師が居るので、誰が当番なのかを見ておく必要がある。

あれやこれや、入院生活ではストレスが溜まる。僕はおとなしく言うことを聞かない「可愛くない」患者なのである。だから余計に監視が厳しい。ああ、嫌だ嫌だ。
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入院中インターネットはこっそりと [療養]

入院して3日目になる。になる。金曜日からの入院だったのでどうせ治療は月曜からだろうと思っていたらえらく対応が早かった。車椅子で座っているのは手続き待ちの時間がつらいのでストレッチャーをお願いしたら救急扱になったのかも知れない。病棟から看護師さんがやってきて、連れ合いが事務手続きをしている間に、レントゲン検査と心電図をすましてしまった。病室は緊急個室だ。いずれ大部屋に移ることになるだろう。

先生がやってきて、すぐに右脇腹を切開してのドレン管の挿入になった。ただし今回は、先生が指導しながら弟子の若い女の先生が執刀した。どろどろと膿が出てきて、夕方には、もう随分と呼吸が楽になって来た。しかし、少し下がって来たものの発熱は続き、食欲は全くない。発熱があるとおしっこの出は悪く、1時間ごとに50ccと言う状態が続いた。夜中に解熱剤の処方をお願いしたら、38度を超えないと病棟の判断では処方できないと言われてしまった。37.9度まで下がったのが裏目にでた格好だ。これが朝まで続き、かなり辛い思いをした。

しかし、2日目になると、たんの量が減り、熱も微熱程度になった。3日目になると、もう発熱はない。果物とかゼリー系を口にして、パンも1口押し込むことが出来た。明日以降食欲も回復して行く事だろう。いまのところ経過は順調だ。だが実は問題はこれからなのだ。前回の入院では、膿さえ出してしまえば、あとは、時間はかかるが、自力で炎症を治癒出来ると期待していた。それは甘く、ステロイドで低下した僕の免疫力では抑え切れず、たちまち膿胸が復活してしまったのである。先生も何か打つ手を考えているだろうが、膿が出なくなっても、炎症が治まるまでドレンを続けるのが一つの手かと思う。

体が楽になって来ると、もう一つの苦難が頭を持ち上げてくる。それはインターネット禁止というあり得ないような病院のルールだ。もちろん僕はこんな馬鹿馬鹿しいルールにおとなしく従うつもりはない。呼吸器のケースにポケットWiFiとpc電源が隠してある。問題はどう監視の目をかいくぐるかだ。WiFiは繋ぎっぱなしにして狭い所に置いておくと過充電で発熱してしまう。看護師が来ない時につなぐしかない。

まあ午前中は無理だ。8時に朝食だが、そのあと朝のお薬を配って回る。9時には点滴が始まるし、担当医もやってくる。10時にはx線などの検査に連れだしに来る。帰ってくると体を拭きましょうと言ってくる。こうしてみると結構患者の方も忙しい。それで12時にはもう昼食だ。

午後は、またお薬の配布があり、終われば、血圧などのバイタル測定にやってくる。これで。2時。3時頃には主治医が弟子を引き連れてやって来る。教授回診の時もある。この時は20人からの大行列だ。4時頃には明日の検査予定などを伝えに来る。そのあと夜の担当看護師を紹介にくる。5時になると、夜の担当者が尿の回数とか息苦しさとか問診にやってきて、6時には夕食になる。

夕食後もお薬の配布やバイタル測定があって、さらに夜の点滴があって9時には消灯となる。結局、インターネット接続のスキが見いだせないのだ。看護師さんは夜中にも何回も巡回してくる。巡回時刻が決まっていないから突然現れて予想がつかない。しかも隠密行動で、足音を忍ばせている。尿器をベッドサイドに置いておくのだが、いつの間にか中身が無くなっている。

しかし、スキと言うのは必ずある。朝のバイタル測定は6時で、採血などがあったとしても7時で終わり、ここから先8時の朝食までやって来ることはあり得ない。夜も消灯から1時間はまだ巡回は始まらないこないのだ。やっとインターネット接続の目算が付いたが、ひやひや、ドキドキしながらであることに変わりはない。何でこんな苦労をしなくてはならないかと笑ってしまう。まるで収容所から逃げ出そうとしている捕虜のようだ。昔、「OK捕虜収容所」と言う喜劇版膿があったなあ。

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