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父の白血病 [療養]

あちこち悪いところだらけの僕だが、主な疾患と言えば、間質性肺炎と白血病だ。間質性肺炎は酸素のお世話になる毎日だから意識せざるを得ない。白血病の方は、分子標的薬のおかげで、現在は寛解状態にあり、自覚症状は全く無い。しかし、僕の父親は白血病で亡くなったのである。二代続けて白血病というのも因果なものではある。

僕の場合は、慢性骨髄性白血病なのだが、父の場合は、急性リンパ性白血病だったから、発症から1年経たずに死亡することになった。抗がん剤で一度寛解したが、半年で再発した。再入院のため、タクシーに同乗して琵琶湖の湖畔を走った。春めいた景色を見ながら、互いに沈黙したことを覚えている。父は、自分自身が医者だったから、入院したあと、もう出てこられないことがわかっていただろう。

父は、少し変わった経歴の持ち主だ。田舎の百姓の家の7番目の子どもとして生まれ、小学校3年生のときに出家した。禅寺の小坊主になったのだ。多分、経済的に苦しい、家の事情があったのだろう。以来、お寺の和尚さんの元で育てられることになった。朝早くから清掃、読経、座禅といった修行の毎日だった。修行の合間に学校にも通う。

人間には特性というものがある。父は、まじめに経文を覚えはしたが、宗教家としての素質がなかったようだ。まったくと言って良いほど宗教心がなかった。家に仏壇や位牌はなかったし、僕も、墓参りに連れられて行ったことなど一度も無い。本当は、建築家になりたかったと言う事を聞いたことがある。

兄弟子たちに比べて、修行の成果も出なかったのだろう。和尚は、偉いもので、そんな父の特性を見抜いて、人を救う医者になるのなら、坊主にならなくても良いと言い渡した。京都の本山に修行に出され、そこから大学の医学部に通うことになった。僧籍は抜けなかったので、医者になってからも、身寄りがなく葬儀のできない患者さんのためにお経をあげるようなことをしていた。

白血病になった後も、淡々としていた。寛解期にも、普通に病院にでかけて診察をしていた。抗がん剤で毛が抜けて、坊主姿になっていたこともあり、悟りの印象を受けた。人は誰でも死ぬ。病気との付き合いは、死ぬところまで続くのだから、これをどう受け止めるかだけの問題だ。僕も、父の白血病にこれを学びたい。
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