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肺がん宣告、余命2年かあ (2) [療養]

肺がんが見つかり、CTと腫瘍マーカーで確認されたことを書いた。どのような治療方針にするかで、一ヶ月の経過観察となったのだが、一ヵ月後のCTには、大きな変化が起こっていた。右胸だけでなく、左胸にも白い塊が現れた。2箇所に広がったガンとなると、粒子線治療も出来ない。万事休すである。いよいよ「余命2年」が重くのしかかってくる。

左胸に現れた影は、ソラマメではなく、淡路島のような変な形だ。大きさは、むしろソラマメ君よりも大きい。ソラマメ君は、しっかりと右胸に健在なのだが、あまり大きさも変わっていない。左胸に一ヶ月で急に大きな塊ができるというのは、ガンとしてもおかしい。前の画像と比べてみると、前にもうっすらと同じ形が見えている。主治医もこの新い腫瘍がガンであるということには、否定的だ。しかし、ガンではないと言う確証はないということだ。

一箇所の局所ガンということで粒子線治療に持ち込みたいと思っている僕としては、左に出来たものがガンでないという確証が欲しい。主治医も治療方針を決める上で、左に出来た腫瘍状のものの正体を見極めておかなくてはならないと言う考えだ。

間質性肺炎の病巣が固まったとも考えられるし、アスペルギルスやレジオネラ菌が病巣を作ったのかもしれない。もちろんガンということも否定できない。肺生検のリスクが高いので、この判別はなかなか難しい。僕の場合、侵襲性のある検査は、予備的な検査をして、手順を踏んで慎重にやる必要がある。抜歯など歯科治療も出来ない状態だからだ。 主治医の提案は、ステロイドを倍に増やして、もう一ヵ月経過観察をすることだった。間質性肺炎由来のものだったら、ステロイドで反応するはずだ。

「もし、アスペルギルスだったりしたら、免疫抑制で悪化するんじゃないですか?」と聞いてみたら、「いいじゃないか、そんなことを言ってる場合か」と言われてしまった。確かにそのとおりだ。しかし、20mgのステロイドはきつい。筋力がさらに衰えて体はふらつくし、当然、風邪などに弱くなる。

そんなことで、ステロイドを増やして、さらに一ヵ月の経過観察になった。マスクやうがい手洗いなど外出には気を使ったのだが、体調は悪くなかったから、旅行にも出かけた。時間が限られるとなると機会を逃すわけにはいかない。車での旅行で感染症リスクが増えるわけではないという理屈だ。

旅行からも元気に帰ってきたのだが、まずいことに配偶者が風邪を引いた。やばいかな、と思っていたら案の定うつされてしまい、挙句、老人病院に入院することになったのだ。この入院は、いわば予期されたことだったのである。ブログにもサラリと書いただけなのはそのためだ。

なんとか退院できたのが一ヵ月経ったころだ。急性肺炎の影響で、経過観察のねらいに支障ができてしまっているのではないかと恐れながら主治医の所に行き、CTを撮った。白い陰が現れてからCTも4回目になる。これで経過観察も最後になって欲しい。

左胸の淡路島は消えてしまっていた。やはり、間質性肺炎由来の一過性のものだったのだ。右胸のソラマメ君は、大きくはなっていないようだが、相変わらず健在である。

ともかくも、一箇所の小さな局所ガンなら、粒子線治療に持ち込める。肺がんの場合、転移が早いからまだ一箇所とは言えない。少なくともガンマシンチグラフィーなどで転移を確認しなければならないが、それは大学病院に行ってからだろう。このところずっとγGTPが高い値を示しているので腹部エコーをやってもらったが、肝臓への転移は大丈夫そうだ。

粒子線治療をやったとしてもそれで完治するわけではない。病巣を小さくするという意味では延命処置でしかない。抗がん剤も同じことだ。しかし、もし粒子線治療で2年延命できれば、抗がん剤治療とあわせて4年になる。まだガンが小さいことを入れれば5年は持つかもしれない。

よくガン治療は5年生存率を伸ばしただけで、死亡率は少しも下がっていないなどと現代医学への批判が聞かれるが、現実に直面してみると「延命処置」と「完治」の区別がなくなってくるのがわかる。年齢や、健康状態から言って僕があと10年も生きられる確率は高くない。5年後に生きているかといわれても、とても確約できない。だから、余命が5年となれば、「完治」と大差ないのだ。

しかし、さすがに2年は短い。だから5年と2年では大違いと感じる。大きなことは、抗がん剤で得られる延命期間というのは、重篤な副作用に悩まされる病床での期間であるのに対して、粒子線治療で得られる延命期間は自由な時間であることだ。

ここはなんとしても、渋る主治医を説得しなければいけない。多分主治医の考えているのは僕を連携のある大学病院の呼吸器科にゆだねることだ。医師にとって紹介状は結構大変なものだ。いい加減な判断に基づいた紹介状でも書けば、たちまち医師仲間からの評価を下げてしまう。同業者からの批判の目は厳しいのだ。専門が近いのに、よく知らない粒子線治療への紹介状は気が重いだろう。

僕の場合、本当は膠原病科、呼吸器科、血液内科、粒子線腫瘍科の医師からなる医師団を形成して、協議しながら治療をして欲しいのだが、そんなことはしてくれない。誰か一人が担当医となり、他の医師の意見も参考にするといったことに留まる。実際には、お互いを尊重するあまり、他の医師のすることに口出ししないのが鉄則になっている。

大学病院で、呼吸器科の若い生意気なレジデント医師が担当にでもなれば、どうにもならなくなってしまうのは目に見えている。これは前にも経験済みだ。検査にこだわり、肺生検に持って行こうとするだろうが、気胸が出たり胸水がたまったりして、この段階での問題で足踏みして先に進まなくなる可能性が十分にある。診療科を横断しての治療など望むべくもない。だから、大学病院は入り口が大切なのだ。粒子線腫瘍科に直接紹介してもらうために、いくつかの資料を用意してかなり意気込んで診察に臨んだ。僕にとっては、ここが勝負どころといった気持ちだった。

「肺がん宣告、余命2年かあ (3)」に続く)

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