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外来の意外な結果で年を越す [療養]

体調は下り坂。息切れが酷い。高熱も出る。膿胸の復活は間違いない。ただ痰の色がきれいだから、胸水は溜まっているがまだ炎症は抑えられていて膿にはなっていないかも知れない。それならやがて胸水が減っていく事も無きにしも非ず。

そう期待して臨んだ外来受診だが、全く逆の事を言われると戸惑ってしまう。レントゲンで見ても胸水は溜まっていない。しかし、炎症は激しくcrpは10にも跳ね上がっていると言うのだ。一体なぜ?

主治医にもよくわからないようだが、膿胸とは反対側の左肺の白っぽい部分が広がっている。左肺に炎症が出来ているのかも知れないとして抗生剤を処方された。自覚症状としては膿胸が酷かった時と同じだし、crp10と言うのは尋常な値ではない。

何か全く別の所たとえば循環器に問題があるのではないかと思えて仕方がない。現にNT-proBNPは1000を超えている。膿胸が酷い時には7000もあったから主治医はこれを圧迫された肺の影響だとしているが本当にそうだろうか。

ま、ともかくも抗生剤を飲んでどうなるか様子を見るしかない。主治医の見立てどおり左肺が炎症を起こしているのが主因ならば何らかの改善が見られるだろうし、そうでなければ年明けに検査の範囲を広げてもらえるだろう。

それにしても時期が悪い。年末年始をなんとか無事に過ごしたい。急変悪化となれば対応が難しいからだ。何年か前、風邪を引いて寝込んでいたら尿閉になってしまった事がある。今にも漏れそうになるほど尿意があるのだが出ない。これが3日も続くと眠ることも食うこともできない苦しみになる。年末年始でどこも医院は休み、思い余って救急車を呼んだ。あの苦しさは今思い返してもつらい。だから年末年始には恐怖感が伴うのだ。

この一年、自分の入院、連れ合いの入院、娘の死と散々な年だった。寝ているだけの日が続き、結局何事も成しえなかった。なんとか巻き返しを図りたいと思うが道は平たんではない。ただ単に冥土の旅の一里塚をまた一つ越えるのかという悲観的な思いが頭をよぎる。

確かにもう、希望に胸を膨らます年ではないかも知れない。しかし、それでも僕は新しい年に向けて、一歩を踏み出すのだ。結果はどうであれ、毎日を精一杯に生きる事、それが人生を貫く全てだ。2019年よ、やってこい。


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やばいかな、またも体調下り坂 [療養]

リハビリを頑張ろうとしていた矢先にまた発熱だ。38.5度だと、もう寝ているしかない。幸いなことに一日で終わった。しかし、翌週また発熱だ。今度は微熱が2,3日残った。明らかに呼吸は苦しくなってきている。退院当初は足腰が非常に不安定で、転ぶこともあったが、一応平気でトイレまで行けた。今は伝い歩きが安定してきたにも拘わらず息切れが激しい。トイレまでたどり着いても、息が整うまで用便どころでは無い。

原因は膿胸の復活だろう。完治したわけではなく、ドレンチューブが限界にきてcrp2.5で炎症が残ったまま退院したのだから懸念はあった。しかし、crp6と言った前回の退院の時より炎症のレベルはかなり低いし、ステロイドは3㎎も減らしている。事実、退院時点での体調はすこぶる良く、息切れなどあまり感じなかった。僕の免疫力・治癒力に期待しての退院だったのだが、今の所少し旗色が悪い。

このまま、もう少し耐えておれば盛り返してくれるのだろうか、あるいはまた入院になるのだろうか。外来の予約は退院から一か月後だからまだ先だ。もう少しこまめに見てもらえないものかといつも思う。

対処の方法としては、またドレンチューブを入れて、耐用期限までに徹底して洗浄してもらうことくらいしか考えられない。早い目の入院が必要だ。ところがである。カレンダーを見て見ると不味いことになっている。クリスマス頃、年末年始は連休なのだ。これでは集中的な洗浄などしてもらえない。

休日の入院と言うのは実に無駄だ。検査もなければ処置もない。ただ薬を飲んで寝ているばかりなのだから家にいる方がましだ。年が明けてから入院するのが良さそうだが、それまで我慢できるか。発熱が続くようになったらお手上げだ。

一方で回復の期待もまだ捨ててはいない。発熱も連日ではないし、痰の色がきれいだ。前回は汚い膿のような痰がでていたが、今は白っぽい。肺の内側の炎症は少なく、したがって胸水も溜まってはいるが、あまり汚染されていないと期待する。そうならば、治癒力による自然回復もあり得ないわけではない。

外来診療を前倒しにしてもらうように言ってみよう。血液検査とレントゲンで状況はわかるだろう。先生お得意の「もう少し様子を見て見ましょう」と言うセリフになるかも知れない。それなら年明けの入院になるが、入院待ちの苦しい日々が繰り返されないことを願う。
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ともかくもリハビリ計画立ててみる [療養]

連れ合いの多発性骨髄腫は自家幹細胞移植から半年、今の所順調だ。ポマリストで地固めをしているが大きな副作用もない。絶好調とも言える。それに引き換え僕の方は退院して来てもまだ自由に動けない。連れ合いの世話になるばかりなのが情けない。去年は寝たきりの連れ合いの世話を僕がしていたのがウソみたいだ。

僕の足腰の弱さには2つ原因がある。1つは入院で寝た切りが続いたための弱体化で、もう一つはステロイドによるミオパシー(Myopathy)つまり筋肉が無くなってきたことだ。これは加齢と共に進行して行く。かつて太かった足も、いまはほとんど骨と皮だけだ。体重はなんと83キロから51キロに減った。

だからそう簡単にリハビリが成就するとは思えない。しかし他には手立てがあり得ないので頑張るしかない。目標は杖を突いてでも短距離が歩けることだ。今の所、よろけながら、何とか壁伝いでトイレまで行けるばかりだ。時々急に足の力が抜けて転んでしまう。長い間椅子に座っているのもつらいから一日の大半は寝ていることになる。

病院でも訪問看護でも理学療法士さんに何度も指導を受けた。それぞれにかなり違う事を言い、やらせる動きの内容も違うのだが、共通して言われたことは体幹の筋肉を鍛えることだ。ふらつきの原因はここにある。座位が保てないのも同じだ。

そこでリハビリのメニューを決めることにした。言うは易し。なかなか実行できないからブログに書くことで自分に圧力をかけるつもりもある。

まず、寝たままで伸ばした足の持ち上げ。左右10回づつ。次いで足を曲げてお尻の持ち上げ10回。ソファーに座って姿勢を正しての左右のひざの持ち上げ8回づつ。これを一日3回やれば必ず体幹が強化され歩行が安定するそうだ。

これに加えて、立ち上がっての足踏みもやろうと思う。ソファーから立ち上がるのが大変だったのだが、友人がDIYでソファーの足をかさ上げしてくれた。これで随分立ち上がりが楽になった。極端に言えば「立ち上がり」でなく「立ち降り」だ。

立っているのはもちろん不安定で体がグラグラする。だから両手に杖を持って支える。こうすれば足踏みも出来る。浅くとも屈伸はさらにいい運動なのだが危険が伴う。何回かすると必ず転んでしまう。しかし、後ろに転べば、柔らかいソファーに座ることになるから大丈夫だ。杖を前の方について、むしろ後ろに転びやすいくらいにしておくのがコツだ。

リハビリ計画は万全だ。問題は実行することにある。寝転がってパソコンをいじったりしているといつの間にか眠り込んでいたりして、なかなか1日3回にならない。一日一回でも効果はあるようで足の持ち上げなど楽に出来るようになって来た。

前回退院した時に比べて肺の調子は良く息切れが少ないからこういった運動はしやすい。動くとSpO2が下がるのだが回復が早い。休み休みすれば問題はない。大敵は体調の悪化で、先週も38.4度の熱が出る日があった。こうなると寝込んでしまい、リハビリは、振り出しにもどる。

!!!!! やるぞリハビリ頑張れ自分 !!!!!!

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二ヶ月でやっと退院まあいっか [療養]

やっと退院出来て久々にシャバの空気を吸っている。といってもまだ家の中だけで、外出は出来ていない。伝い歩きでトイレに行く事などは出来ているのだが、外出するには車椅子を使うとしても玄関前の数段のステップを乗り越える筋力がいる。今少しリハビリが必要だ。

今回の入院は膿胸治療のためだ。間質性肺炎自体は悪くなっていないのに、息苦しく。高熱も出た。この原因が胸水が溜まって炎症で膿になってしまっていることがわかった。どろどろに固くなった膿が肺の動きを妨げている。ドレンチューブを差し込んで膿を出してしまう治療は5月の入院の時もやった。今回の入院はこの治療が不十分だったということによる。

5月の入院では、時間をかけてどろどろの膿を吸引し、水を入れて洗浄し、もう膿が出て来なくなったところで終了した。まだcrpが7(炎症反応、0.3が正常値)という状態で、微熱もあったのだが、残っている炎症は自力で治癒して行くだろうと判断されたのだ。

しかし、ステロイド17mgで免疫抑制している僕の治癒力はひ弱なものだった。しばらくすると膿胸が復活してしまった。間質性肺炎で肺が固くなっており、胸水をぬいても肺が膨れず、胸膜との間には1㎝もの隙間が出来たままだ。ここに胸水がたまり、炎症があれば化膿して行く。

crpは24にまで上がり、連日38度時には39度の高熱が続いた。酸素を5リットルにしても息苦しい。完全に寝た切り状態だ。もう一度治療をやり直す必要があると主治医も判断して入院が決まったのだがベッドに空きがないと言うことで2週間待たされた。この2週間は実に辛かった。入院の時には車椅子にも乗れずストレッチャーで病室に運ばれる始末だった。

前回経験済みだから入院後の処置は手早く、すぐにドレンが始まった。翌日にはもう息苦しさは減り、3日後には熱も微熱になった。一週間で膿も出なくなったのだが今回はここで手を止めない。水を注入しては出すという洗浄を繰り返した。そうするとcrpは24,12,6,4,2.5とどんどん下がって来た。crpが1を切るのを目標に洗浄を続けたかったのだが、ドレンチューブが緩んで、わきから水が漏れるようになった。洗浄を一時停止して縫合で隙間を詰めた。

洗浄を再開したのだが、crpは3,4,と逆に上がり始めてしまった。ここでまた水漏れが始まった。ドレンチューブの使用限界らしい。洗浄は停止して様子を見ることになった。crpは7まで上がってしまった。限界に来たドレンチューブは抜き取り、点滴の抗生剤を強化する事になった。

体調はいいので、なぜcrpが上がるのかわからなかったのだが、翌週にcrpが4に下がった。どうも長く差し込んだままだったドレンチューブが汚染の原因になり周囲に炎症を起こしていたらしい。その後もcrpは3の周辺で上がり下がりしたままだ。熱はでないし、痰の量も減った。これは抗生剤の点滴を止めても変わらなかった。 

crp3は普通に考えるとまだ相当高い値だ。しかし、これを今下げる手立てはないし、一応体調はいいから家での生活は出来る。再び胸膜の炎症は自然治癒に期待しての退院となった。中途半端といえばそうだが、まあいっか。前より状態はいいし、ステロイドも12㎎に下げた。なんとか頑張ってくれ僕の免疫力。

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病院で食べるミカンの味気無さ [懐かしい物]

病院食に蜜柑が出たから食べたのだが何か違和感がある。なぜだろうか。実は蜜柑は独特のシチュエーションを想定した食べ物なのである。山陰の冬は暖かい日が照る事がない。雪解けのぬかるみでは外でも遊べず、冬ごもりといった感じで家族は炬燵の周りに集まる。そんなとき、必ず食べたのが蜜柑だ。蜜柑は一家団欒と切り離せないものだ。断じて病院のベッドの上で一人食べるものではない。

どこの家でも冬には蜜柑を箱買いして常備していたと思う。我が家では父の同僚の実家が有田だったので、毎年大きな箱に入った蜜柑をもらった。廊下の端の冷え込んだ所にある箱から蜜柑をもってくる。蜜柑は4っつに割り、底の方を右手の指で押さえて、左手で身をくるりと回すように取り外す。こうするとスジが皮の方に残ってとれてしまう。これが普通のミカンの剥き方だと思っていたが、どうもそうではないらしい。

「有田剥き」などと言われてYouTubeで話題になったりしている。有田周辺特有の剥き方なのだそうだ。病院のミカンもこの「有田剥き」をやって見たのだが、スジが少し残る。有田蜜柑に対して特に有効な剥き方なのかも知れない。だとしたら、これが全国に普及しない理由だ。

近年、家でも蜜柑を食べる機会が少なくなったように思う。いろんな果物が出回るようになったからだ。オレンジに比べると蜜柑の味は薄くて頼りない。人々はもっと濃厚なおいしさを求める。日本独特の味だが多分輸出は出来ていないだろう。アメリカのスーパーでも見る事はなかった。日本国内ですらジュースは圧倒的にオレンジが優勢で蜜柑ジュースは人気がない。

しかし、缶詰となると、やはり蜜柑だ。オレンジの缶詰なぞ聞いたこともない。小粒なのにきれいに皮がとってあり、シロップで甘みが増やされている。多分こちらなら病院でも違和感がないだろう。風邪で元気なく寝込んだ時に食べさせてもらった覚えがある。缶詰だから新鮮さといったものはない。もともと蜜柑は「とれたて」だとか「新鮮さ」といったことが強調されることのない果物なのだ。駅のホームでは必ず蜜柑を冷凍にして売ってあった。

他のおいしい果物に押されて、劣勢なのではあるが、それでもやはり、蜜柑は失いたくない味だ。蜜柑を食べるとあの家族が集まった時の笑い声を思い出す。それが何物にも替えがたい幸せというものだろう。昨今は部活や塾で子供たちも忙しい。長時間労働やシフト勤務が増えて親も忙しい。だからといって、一家団欒の機会を安易に失なってはならない。
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