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高校入試への疑問 [日常日記]

我が家の近くには、大手の塾が軒を並べている。送迎バスや自家用車で夕方はかなりにぎあう。高校入試対策らしい。毎年、3月には「成果」を競う折込広告が多い。

僕はどうもこの高校入試をめぐる騒ぎに違和感を覚えて仕方がない。大学入試はわかる。それぞれの大学によって学ぶことが異なり、適性もあるだろうし、人数の制限があるのも致し方ない。しかし、高校では皆同じことを学ぶのである。入学する生徒を選抜する必要がどこにあるのだろうか。難しい高校でも易しい高校でも、学習指導要領で教えることは決められており、決して高校レベルを超えた授業内容になることはない。

では、一体何のための入学試験騒ぎなのだろうか。なるほど、難しい高校には、いい大学に進学する生徒が多い。しかし、難しい高校に入れば、いい大学に入れてもらえるわけではない。他の子がどこに進学しようが、当人には関係のないことだ。

難しい高校と易しい高校では進度が違うということだ。進学校では2年生までで、3年分の過程を終える。で、あとの1年は、新しい事を学ばず、試験の練習で足踏みして過ごすのである。どう考えてもこんな教育が良いとは思えない。実はうちの子供たちもそういった高校に入れてしまった。じっくり教えず、先へ飛ばすばかりで、わざわざ数学嫌いを作るようなものだ。おかしな教育法と言うしかない。

当然ながら、高校入試などということに熱狂するのは日本独特の現象だ。少なくともアメリカでは高校入試などと言うことはない。義務教育ではないが、希望すればだれでも地元の高校に進学できるようになっている。それで何も問題はないのだ。立派な科学者も多数輩出している。

実は日本でも昔は高校入試などたいした問題でなかった。新しい憲法ができて、民主主義が国の基本となったとき、学制も変わって、中学までが義務教育となり、新制の高等学校も出来た。高校は3原則に基づいて作られた。それは、男女共学、総合制、小学区制というものだった。アメリカの制度をそのまま受け入れたものだとも言える。

それまでの教育は複線式で、小学校以上は、専門学校や中学校、高等小学校、陸軍幼年学校といった具合に、格差を前提として職業別、階層別に分かれていた。それを高校まで統一して、だれもが多彩な進路を選べるようにしたのだ。小学区制で行く高校は決められており、序列などはなかった。

なぜ高校3原則が崩れていったのかよくわからない。有力者と同級生といったつながりが重要なコネ社会が続いたからかもしれない。あるいは、地元での恰好よさを求めて、差別化を望む国民性だったかも知れない。競争が学力の向上を生むといった信仰のせいかもしれない。ともかく、高校3原則は崩れて行き。現在の入試制度になっている。

僕が育ったのは京都府の田舎で、一番長く高校3原則を守ったところだ。当時の京都府知事は蜷川虎三という反骨魂の塊のような人だった。なにしろ長い就任期間の間、一度も東京には陳情したことがないというくらいだ。「15の春は泣かせない」と、徹底的に高校入試の強化に反対した。政府の言うことは全く聞かない知事だ。

町には2つの高校があったし、近隣の町までもそう遠くはなかったのだが、進学先はきっちりと住所で定められていた。いちおう入学試験というのはあったのだが、競争はなく、よほど勉強をサボっていなければ、合格した。中学生の時は、無線や模型工作でのびのびとすごせた。僕や友達なども合格発表など見に行ってもいない。高校には入れるのがあたりまえだったからだ。

当時、大学進学率は30%以下だったと思う。高校での友人の多くは大学に行かずに就職した。こうした多彩な友人を得られた事も小学区制の高校の良いところだと思う。他県の進学校から来た大学の仲間達はみな交友の範囲が狭い。

競争がないと学力がつかないというのは完全な誤りだということを身を持って体験している。競争ではなく、学問への興味で勉強した。だれでも入れる高校ではあったが、大学進学の成績は決して悪くなかった。東大5人、京大5人、阪大3人というのがその年の合格者数だ。今や地方小都市の高校では、いくら厳しい選別で高校入試を加熱させていても、これだけの進学成績を挙げているところはないだろう。高校の序列化で競争をあおることには何の意味も無いことがわかる。

15歳の段階で、子どもを無意味で奇妙な競争に駆り立てる高校入試というのは、実にバカバカしいものだ。
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