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大衆食堂 [懐かしい物]

車で遠出すると、珍しいものを見ることがある。桧枝岐に至る会津街道でつぶれそうな「大衆食堂」の看板を見た。久しく見なかった看板だ。1970年ころまで、この看板はどこにでも見られた。レストランというのは、高級西洋料理店で、庶民の行くところではなかった。ハンバーガーも無かったし、回転寿司もなかった。昼飯を食ったりする店の看板には、必ず「大衆食堂」という肩書きが付けられていた。

大昔、食堂というのは、軍隊内での食事場所とか、給食がある工場内の社員食堂とかを指しており、誰でもいける場所ではなかった。誰でも食事ができると言う意味で、「大衆食堂」と言う言葉が生まれたのだろう。

大衆食堂のメニューは、「カレーライス」「きつねうどん」「親子丼」が代表的なものだった。このメニューを引き継いでいるのはファミレスだろうか。「卵どんぶり」「素うどん」というのもあったが、今は全く見かけない。

貧乏な学生は、「カレーライスのカレー抜き」と言うのも食った。「ライス」との違いは、赤い福神漬けがついていることだ。同様に「天丼の天ぷら抜き」には、沢庵がついていた。カレーライスには必ず福神漬けがつくという文化は今もあるのだろうか。

関西では「めし」と書いた赤いちょうちんがぶら下がっている店があり、こういう所では、小皿に色々なおかずがあって、これを取って、どんぶり飯と共に食べる。今でいうキャフテリアだが、大根の煮つけとか鯖煮のような和食ばかりだった。酒もあったから居酒屋かもしれない。

庶民人情にあふれた雰囲気だった。結構真夜中まであいていて、昼夜逆転の僕が食べに行くと、夜間工事の人たちで賑わっていた。あちこちでインフラ工事が盛んな時代だった。今のように機械化されていないから、ツルハシとスコップの重労働だった。「水道か?ガスか?」と聞かれて、当時ヘリウムを使った実験をしていた僕が「どっちかと言うとガスです」と答えると、「若いときは苦労するもんや、我慢しいや」といって牛蒡天をおごってくれたりしたことを思い出す。

大きく変わったのはイタリアンフードだろう。マカロニは古くからあったが、スパゲティが出てきたのは70年頃のことだ。中学生英語新聞でスパゲティが出てきて、西洋にもうどんがあるのだと感心したことがある。今は、パスタと言っていろいろな種類があるが、スパゲティは2種類しかなかった。「ミートソース」とトマト味の「ナポリタン」である。逆に、今のイタリアンレストランには、こういった名前のスパゲティはない。最近、ピザはピッツァに変わりつつあるようだが、70年代にはピザパイと呼んでいた。

同じ名前の料理でも、現在とはちがうことがある。「とんかつ」というのは、どこでも厚手の豚肉なのだが、昔は違った。数年前、人待ちで東北本線の片岡という駅の前で、安い「とんかつ定食」を食べた。もちろん不味かったのだが、昔を思い出させる懐かしさに感激した。初老の店主がカウンターの前で調理してくれた。臆することなく豚肉をたたいて薄く引き延ばすのだ。それに粉とパン粉をつけて揚げる。取り出して、もう一度粉をつけて厚みを増してさらに揚げる。これが、昔のとんかつだったことを思い出してしまった。この店も、もう無くなっているかもしれない。

食べ物は、機敏に時代とともに変わっていく。今思っているように、寿司や天麩羅が代表的な日本の食べものであったとは思われない。「大衆食堂」といった言葉さえ失われて行くのだ。
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