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O君の訃報 [日常日記]

年賀状の返事が来ないと思っていたら、弟さんから昨年亡くなったという知らせが届いた。

O君は学生時代の友人である。僕は1年生のときに手品をやってみたいと思い奇術部にはいった。歯学部のO君とは奇術部で知り合った。彼が奇術部に入った動機は不純で、奇術部にいた文学部のIさんと言う女の子に惚れたからだ。知り合った早々、そのことを打ち明けられ手助けを求められた。

手助けをしようにも手立てがないから、実際はほったらかしだったが、進展はいちいち報告してくれた。デートを申し込んで成功したのだが、1回で終わりになった。ま、振られたということだ。あきらめずに次のチャンスを狙うなどと言っていたが、僕のサジェスチョンは「あきらめろ」だった。

二人とも特に熱心ではなかったので1年で奇術部を止めてしまい、あとの接点はなくなったのだが、不思議と交流は続いた。人なつっこく、頼まれたら嫌と言えない性格で、あるとき僕が下宿までの10km余りを電車に乗らず歩いて帰るから付き合えと言ったら付いてきてくれた。

灘高野球部の出身でピッチャーだったと威張っていたが、僕のほうは高校が甲子園の優勝高であると威張り返すとへこんでいた。実は僕自身は、野球などまったく全くダメだったので、何度もバッティングセンターへ行こうと誘われたが、一度も行ったことがない。子どもの頃は勉強もスポーツも万能だったようだ。当時(今でも?)灘高というのは阪神区域では一番難しい学校で、並大抵の子では入れない学校だった。しかし、大学ではその面影はなく、ひたすら好人物で、たしか成績も良くはなかった。

教養から学部に進学してキャンパスが別になった。学生大会が開かれ、中ノ島に行ったら、全闘委が殴りこんでくるという騒動の最中にO君と出くわした。どうしてる? と声をかけたら、ポケットから入れ歯を取り出して見せた。実習で入れ歯を作っているのだがどうしても一本歯が余ると言う事だった。彼の不器用さは半端ではない。

歯科医になるのは止めたほうがいいのではないかと思った。何年か後に大学の卒業名簿で彼が大学のポストについていて、所属が手術部になっていたのでほっとした。口腔麻酔の担当らしい。これなら入れ歯作りに悩むことも無いだろう。しかし、閉鎖的な医学部環境の中で歯学部出身は厳しいだろうなとも思った。僕も傍流で出世は厳しいと諦めていたのだが、彼の場合はさらにひどかった。 結局、ずっと助手のままで過ごしたことになる。

彼は60少し前に大学を辞めて関西に戻った。久しぶりに電話を受けて、結局彼は結婚もしていないことを知った。喉頭がんになり、手術でまだ少ししゃべり難そうだった。 数少ない医学に関係する論文を送って意見を求めて見たりして、今度関西に行った時には顔を合わせたいと思っていた。

訃報を聞いて、感慨をインターネットに載せたいと思った。妻子もおらず、おそらく、彼の死についても生についても知る人は少ないだろう。せめて彼の足跡を少しでも残してやりたいと言う気持ちだ。

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