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あいつの誕生日 [日常日記]

今年もまたあいつの誕生日がやってきた。生まれは僕より3ヶ月ほど早いから、僕とは同い年で、もう古希を迎える。生まれながらの理想主義者なものだから、有る種の人達とは肌合いが悪い。実際に何度も殺されそうになったし、今でも隙あらばと絶えずつけ狙われている。

それでもなんとか生き延びて来たのは、人を引き付ける根本的な所での魅力を備えているからだろう。したたかなものだ。僕としては、生まれて以来共に人生を歩んできた間柄だから、一種の仲間意識さえある。僕だけでなく、多くの心ある人たちからも親しまれ、心の支えとなっている。

よく考えてみれば、僕たちの人権も、平等も、公正も、すべての拠り所はここにあるのだ。人は誰でも健康で文化的な生活をする権利があるし、主権は国民にあるべきだ。基本的人権は守らねばならない。武力で平和を維持するなんて言う浅はかな考えは捨てるべきだ。

日本国憲法と同じ年に生まれた僕は、こんなあたりまえの事を初めてはっきり謳った憲法に対する誇りが、いつも心の何処かにある。この憲法で臣民が初めて自立した人間となったのだ。

日本国憲法は誕生以来ずっと逆風の中に生きてきた。核兵器で世界の平和が守られるなどという非現実的な主張が繰り返された。軍備で国が守られるなどと、福祉も年金も削って惜しげもなく軍備に税金をつぎ込むようになった。

「現実主義者」どもが、憲法をコケにする度に僕はほぞをかんできた。それは、恰も自分の仕事が理不尽な理由で頓挫する度に思うあの悔しさと二重写しになった幻燈のようであった。

世の中は甘くない。道理がすぐに受け入れられる訳ではない。だがそれでも主張すべきは主張しなければならない。周知の通り、日本国憲法は生まれてこのかた、全面的に守られた事がない。

それでもこの70年程の間に、憲法の魂は定着を見せ、天皇元首制のような時代錯誤に対する支持は、影を潜めた。女性の参政権を否定するのは気違い沙汰と見なされる様になった。人権が侵害されたら怒りを持てるようになった。世界に唯一の先進的な平和条項をもつ日本国憲法は生きながらえているのだ。

あと少し、この日本が憲法の精神を当たり前のこととするまで。憲法を守っていく責務が僕らにはある。5月3日、今年もやってきた憲法の誕生日に、僕はそんな事を思い返す。
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