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スペインと地中海(5) スペインの予習 [スペインと地中海]

チュニスでテロ事件があり、どうなるか危ぶまれているのだが、クルーズ会社からは何の連絡もない。このままチュニスに行くことになるおだろうか。ともかくも、スペインに行くのだから、スペインについての予習をしておかなければならない。ところが、これがなかなか複雑だ。

スペインはとても古い歴史を持っている。紀元前15000年に溯るアルタミラの洞窟壁画は、クロマニヨン人の遺跡だ。北部には、ヨーロッパ中部からやってきたケルト人が住み着いたが、南部にはイベリア人と呼ばれる土着の民がいた。北東のフランスとの国境にまたがってバスク人が住み、独特の文化を今に伝えている。

ギリシア時代には、フェニキア人やギリシア人が海からやってきて南部を支配した。ポエニ戦争でローマが勝つと、このあたりもローマの植民地になった。イベリア半島を3州に分けて統治し、法と言語とローマ街道によって結びつけられ、その支配はその後500年以上続くことになる。

400年代、民族大移動の時代には、ゲルマン系の諸族がローマに侵入し、帝国を破壊した。この流れで、西ゴート族がイベリア半島を占拠することになった。428年西ゴート王国が建設された。宗教的にはカトリックとなる。中心地はトレドだった。

718年、アフリカから進入したウマイヤ朝勢力が西ゴート王国を滅ぼして、今度はイスラム文化のもとに置かれた。ギリシア、ローマ、カトリック、イスラムと、様々な文化が入り乱れ、うまく調和したりしている不思議な領域がスペインである。

カトリック勢力は北西部に残り、アストゥリアス王国を建てた。ウマイヤ朝はその本拠のダマスカスでアッバース朝にとって替わられたのだが、残党がスペインに後ウマイヤ朝を建てた。756年だから日本で言えば飛鳥時代の末期である。

北部のキリスト教国と南部のイスラム教国との戦争は、この頃から1300年代に至るまで、500年にも及ぶものだった。イスラムはピレネー山脈を越えてヨーロッパ中央に進出したが、フランク王国に負けて撤退した。

追撃したフランク王国軍が、ピレネー山脈を越えて侵入し、バルセロナを中心とするスペイン南東部はアラゴン王国になった。イベリア半島北部に残ったアストゥリアス王国は、支配を拡大し、中部に起こったカステリア王国に引き継いだ。

後ウマイヤ朝は内部分裂で1031年に滅びた。日本で言う鎌倉時代、1236年にコルドバが、1248年にセビリアが陥落しスペインはほぼキリスト教国の支配になった。ポルトガルは1385年にカステリアから分離独立したものだ。キリスト教国どうしも争っている。

1469年、イサベル女王とフェルナンド国王の結婚により、カスティーリャ王国とアラゴン王国が統合され、イスパーニャ王国となって現在のスペインが成立することになった。日本では室町時代だ。最終的にイスラムが掃討されたのは、1492年にグラナダが陥落した時である。この年、大西洋に派遣したコロンブスがアメリカ大陸を発見した。

1500年代には、スペインは海洋国家として世界に進出して大植民地を擁する帝国となった。先祖を辿ればドイツ系になるのだが、スペイン・ハプスブルグ家が婚姻関係でヨーロッパの王国を受け継ぐケースが増えた。ポルトガルの王を兼任し、ヨーロッパへも支配の手を延ばした。その結果、フランスやオスマントルコさらにイギリスとも戦うことになり、国力を衰退させてしまった。オランダやポルトガルがスペインを離れ、ヨーロッパでの覇権を失った。この頃、日本は江戸時代にはいっている。

1701年にハプスブルグ家の血統が絶えると、スペイン継承戦争が起こった。結果的にはフランス系のブルボン家が王を継承することになった。ナポレオン戦争後はフランス系の支配が強まり、フランスから派遣された人物が王位についた。これに反発するスペイン独立戦争が起こり、1814年にフランス勢力はスペインから駆逐され、フェルナンド7世が復位した。

フランス革命の影響はスペインにも現われ、1820年にラファエル・デル・リエゴ将軍が率いるスペイン立憲革命が達成されたが、ウィーン体制の崩壊を恐れる神聖同盟の干渉によって1823年にリエゴ将軍は処刑され、王統の正統性を巡って三次に亘るカルリスタ戦争が勃発するなどの政治的不安定が続いた。日本が開国した頃も、スペインではゴタゴタが続いていた。

共和制になったり、王政が復活したりを繰り返したが、スペイン1931年憲法が制定され、スペイン第二共和政が成立した。しかし、フランコ将軍が率いる反乱軍が内戦を起こし、50万人が死亡する惨事となった。スペイン内戦の終結からフランシスコ・フランコの死去までの36年間は、フランコ独裁下に置かれた。

1975年11月22日にフランコ将軍が死ぬと、その遺言により フアン・カルロス王子(アルフォンソ13世の孫)が王座に就き、王政復古がなされた。フアン・カルロス国王は専制支配を継続せず、スペイン1978年憲法の制定により民主化が達成され、スペイン王国は制限君主制国家となった。しかし、北東端にあるバスク州では、根深いバスク人の反発があり、テロなどの内紛が続いている。

複雑で、長い長い紆余曲折の歴史を持っているのがスペインである。

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