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韓国旅行(1)--予習:私の朝鮮史 [韓国旅行]

地理的にも人種的にも日本に一番近い国であるのに、私もそうだったが、日本人は韓国の歴史をほとんど知らない。日本史との関連で古いことは知っている。高句麗、新羅、百済の3国があり、大和政権と交流があった。この当時は古墳などの様子を見ると文化的にも非常に近いことがわかる。

朝鮮の分裂は日本の国内政治にも影響を与え、蘇我氏が新羅よりで、天智系は百済よりだった。3国の争いは、一時高句麗が優勢になったが、唐が介入した。日本は百済を助けて唐とも戦ったが、最終的には、唐の援助を得た新羅が優勢になり、朝鮮半島主要部を統一した。

そのあと、新羅が内部分裂して、後百済(900年、甄萱(キョンフォン))、高麗(918年、王建)が生まれ、再び対立する後三国時代となった。日本はむしろこれらの北にあった渤海と交流した。

三国を統一したのは高麗だった。高麗は400年続いたが、日本も平安時代・国風文化の安定期で対外交渉はあまりなかった。このころが日本では平安時代の貴族社会だったが、高麗でも武班、文班が王を支える貴族社会が確立した。安定した貴族社会は、やがて王と文官が活力を失って行く。これは日本も朝鮮も同じだ。これに反発した武官が地方に台頭し実権を握るようになるのも日本と同じだったが、ここで歴史の流れが変わってきた。

モンゴルの侵入があり、元の支配下で高麗はモンゴルの下請け国家化していった。日本では元寇を撃退し、武家による執政があり、封建制度が確立されたが、朝鮮ではモンゴルによる征服で、封建制度の確立を逃がしてしまったことになる。中央集権が続いたのである。

元が衰退して行くと再び独立の機運となり、李成桂が高麗に変わって朝鮮王朝を立てた。途中、秀吉の朝鮮侵略などもあったが撃退し、1349年から明治まで500年続くことになった。日本の武士に対応するものは生まれなかったが、元の高麗の武官文官が両班と言われる階級を形成した。日本で言う公卿と武士が合わさったものだが、どちらかと言えば文官色が強く、儒教教養を争った。

武士も徳川時代には武力を使うことはなかったから、両班と同じようなものだが、米さえあれば自立して食っていけるので、地方分権が確立され、地方都市や農村が隅々まで広がって形成された。

韓国では、封建制度による地方への土着がなく、あくまでも宮廷が中心のままで推移した点が日本と異なるところだ。日本のような地方都市の発達はなかったし、したがって国全体の生産力の発展も限られていた。

元の支配だけでなく、気候の違いも影響したかも知れない。リマン海流で冷やされる朝鮮は南部でしか米作ができなかったが、黒潮、親潮に囲まれて温暖な日本には全地域で米作ができた。

19世紀まで鎖国が続いたのも日韓同じだが、開国後の西洋文化の取り入れは、地方まで発達を染み渡らせていた日本が俄然早かった。そのため、侵略する側と侵略される側とに分かれてしまった。

再び、日本との近い関係が始まったが、それは朝鮮にとって悲惨なものとなった。日本では日韓併合と一言で片付けられているが、当然これは長い抵抗の歴史だ。一応「3.1運動」とか「マンセー事件」「伊藤暗殺」の言葉は知っているが、実際のイメージは湧かない。

独立運動は盛り上がったが、日本の強力な弾圧で、国内では、ほとんど窒息させられた。しかし、満州南部の朝鮮民族が多い地域である間島ではパルチザンとして活動した。ゲリラ的に出没して警察や消防署を襲ったことが知られている。1936年には金日成らが、鴨緑江を超えて、普天堡でゲリラ戦を展開した。しかし、これらの活動も次第に困難になり1942年頃には200人程の部隊がソ連領に退避する状況になっていた。

1945年8月9日にソ連が参戦して満州での戦闘が始まると、12日に朝鮮半島東岸にソ連海兵隊が上陸した。朝鮮人の抗日パルチザンもこの時朝鮮に帰還した。15日に日本が降伏すると直ちに朝鮮建国準備委員会が組織され、9月6日には朝鮮人民共和国の樹立が宣言され、日本の総督府も権限を委譲した。幅の広い民族統一政府だったが、名前からもわかるようにかなり左翼的ではあった。

ところが、9月8日に朝鮮に上陸したアメリカ軍は、朝鮮人民共和国政府を認めず38度線より南をアメリカ軍の軍政地区とした。北部分では各地に人民委員会が設立され、1946年2月10日に北朝鮮人民委員会が成立した。南部分では済州島などの一部にしか人民委員会が作られず、朝鮮人民共和国を支持する南朝鮮労働党とアメリカ寄りの朝鮮民主党が対立することになった。アメリカが信託統治領化を打ち出したために大きな反発で暴動やゼネストが起こったが鎮圧された。これが、逆にアメリカによる南朝鮮労働党弾圧を強化することとなった。

アメリカは1948年8月13日に、李承晩に南半分で大韓民国の成立を宣言させた。金九、朴憲永などの南朝鮮労働党は弾圧を逃れて北に移り、金日成などと9月9日に朝鮮民主主義人民共和国を成立させた。南北に分断され、その対立は朝鮮戦争という極限状態にまでなった。朝鮮戦争は北からしかけたものだが、その経過から見れば、「南半分を取り戻す」といった行為ではある。その後北朝鮮では金日成が全権を握るようになって行った。南朝鮮では李承晩の独裁が続いた。

休戦南朝鮮も協定が結ばれ、60年の平和が保たれているが、北朝鮮とはいまだに国交がなく、南朝鮮・韓国も僕にとっては、長く近寄りがたい国だった。李承晩に続く朴正熙、全斗煥の独裁政治も陰惨なものとして写り、文鮮明などの恐ろしい宗教の拠点でもあったので、あまり韓国とも付き合いたくなかったのだ。しかし、時代は変わり、韓国出身の科学者とも知り合ったし、金大中が大統領になったりする民主化もあり、韓流ブームが起こったりで、最近やっと韓国に興味を持ち出した。

今度の韓国旅行で、韓国側から見た歴史を肌で感じて理解したいと思っている。

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