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つくば北条の夏祭り [旅行]

つくば北条といっても知らない人が多いだろう。その昔は筑波山の上り口の町で、結構栄えたし、広く水田のある米どころにも囲まれた商業町だった。鉄道が廃止され、筑波山への自動車道は町を迂回したので、いまではかなり寂れている。その昔の面影を残した町並みは郷愁を誘うものであり一種の風情がある。

古い道標がある。正徳年間と言うから1700年代の初めに建てられ、享保に再建されたもので、東はつくば道、西は「つちうら」を経て「かしわ」 南は「おおそね」「いちのや」などと平仮名で書いてある。町の人たちが作ったことがわかる。そう、竜巻の被害に遭った町と言えば思い出すかもしれない。今年は竜巻でやられて八坂神社の祭礼がないので青年会が中心になって盆踊り中心の夏祭りをやるのだそうだ。

北条の盆踊りに出かけてみた。この町に竜巻が何をもたらしたのか見たい思いもあった。竜巻があったのは5月だからまだ三ヶ月しか経っていないのだが、かなり復興が進んでいる。壊れたままの家は一軒しかなかった。更地になっているのが10軒くらい。早くも立て直したと思われる家が10軒くらい。工事中の所もある。竜巻の被害というのは集中的で周りの家には被害がない。一様に広くやられるわけではないから、周りの助けも行き届いて復興がしやすいのだろう。少なくとも町の人は元気で精神的ダメージは少ない。

商店街といっても、営業している店は30軒もあるだろうか、そこに部落中の人々が集まる。何のことは無い。青年会が舞台を設定してカラオケをやったり、同好者の集まりがヨサコイソーランを踊ったりする。あとは屋台が少しばかり出ているだけだが、恒例の大行事なのだ、浴衣で歩いている人、祭りのはっぴを着ている人、行きかう人ごとに挨拶しながら、賑やかに復興祭りが進んでいる。周りの人に挨拶しながら荷物を持った人が家に入って「帰ったよ」と声をかける。祭りの時期に帰省するのが恒例なのだろう。「祭りは、まだこれからだよ」と家人が出迎えている。祭りと言っても観光客をあてにしているものではなく、完全に地元の内輪で行われている。

「どこから来られました?」と声を掛けられること二度三度。我々以外は皆顔なじみなのだろう。よそものはすぐわかるらしい。子どもたちは安っぽいおもちゃを買ってもらったり、カキ氷を食べて楽しそうにしている。夕暮れが近づくと人々は商店街の中ほどに作られた中央舞台に移動する。

北条出身の歌手が町に戻って民謡を歌うのだそうだ。手拍子を打ち、日暮れれまで歌声を聞くと、こんどは盆踊りが始まる。この地方に伝わるひょっとこ踊りのお囃子に合わせて手足を動かす踊りは、なかなか難しいようで、かなりばらばらな踊りだ。ややあって炭坑節が始まると、これは多くの人がうまくリズムに乗って踊ることができるようだ。「なんで、北条で炭坑節なんですか?」と聞いたら、「盆踊りだから」と言う答えだった。盆おどりとは、炭坑節を踊る会だと言う理解らしい。

祭りの囃子を聴きながら、深呼吸をした。ローカルなものを思いっきり吸い込んだ気分だった。日本にはこういったローカル社会がいっぱいある。技術革新だとか、政争だとかと何の関係もなく過ぎていく毎日がある。善良な人々の毎日がある。
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