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定年後の苦難(1)----コーヒー煎れ [定年後の苦難]

この4月、とうとう定年退職した。

そのうち、僕も定年になるとは思っていたが、本当に定年になったと言う感じだ。給料は貰わなくなったが、まだ遣り残した仕事があってもとの職場に行ったりしているから、あまり生活は変わっていない。なんか理由をつけて生活を変えないようにしているのだろうか?

家の中では大いに立場が変わった気もする。これまで家事を分担していないと言う批判は、「稼ぎがある」と一言で退けてきたが、その優位性がなくなってしまったのだ。女房が僕を食わせていると威張っても反論できない。今だって年金と言う稼ぎはあるのだが、仕事をしていないと汗水流して得た収入とは評価されないのだ。

やってみようと思っても、家事はやはりダメで、料理なんか百戦錬磨の女房にかなうわけが無い。女房の作った料理が断然うまい。敵は30年も練習を積んで、もう名人の域に達しているのだから、いくら僕に才能があっても立ち向かうのは無理だ。この点では残念ながらおとなしく引き下がって、うまいものを食わせてもらうのが得策だ。

女房のほうは、僕の定年後、ますます元気だ。孫娘たちにはかわいい服を作ってやり、折り紙も上手で、おいしいお菓子も作るから、それはそれは尊敬される。ひょっとして孫たちは、おじいちゃんはおばあちゃんが飼っているペットとしか考えていないのではないだろうか。

世間には熟年離婚だとか粗大ゴミ扱いだとか、定年後の暮らしについては厳しい風評が飛び回っている。しかし、今のところ女房は多少威張るが僕にはやさしい。頼みごとは聞いてくれるし、外出も必ずつきあってくれる。定年後、特にいたわられているような気もする。どうもそれが、こいつ、余裕を持ってるな、と受け取れてしまうのだ。

それでも何か家事を分担して、責任は果たしていることにしたい。協議の末、朝のコーヒーは僕が入れることになった。どういう分担であれ、分担を果たしているということではあいこだ。しかし、この相互分担作戦も初日につまづいてしまった。

習慣とは恐ろしいもので、不覚にも、朝起きてそのままダイニングで新聞を読みはじめた。催促されて初めて任務分担を思い出した。コーヒーを入れにキッチンに行ったら、コーヒーポットの上にファネルを広げ、お湯も沸かしてあった。以来、僕のコーヒーいれは、お湯を注ぐだけになってしまっているから分担を果たしていると胸を張って言いにくい。

定年退職後の苦難の道はまだまだ険しく続くのである。


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